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現代の大阪市中心部(北区・中央区・西区など)は昔、海だった

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難波宮(なにわのみや)は、大和王朝の古代宮殿 四天王寺ワッソの会場となった難波宮跡の史跡公園は、大阪府庁や大阪城の南部に位置する。会場からは大阪歴史博物館やNHK大阪放送会館などのビルが見渡せる都心エリアである。 四天王寺ワッソ会場 難波宮跡公園 四天王寺ワッソ会場 難波宮跡公園 難波宮(なにわのみや)は、飛鳥時代・奈良時代に当地にあった古代宮殿。 飛鳥に先駆ける古墳時代に、仁徳天皇が上町台地の当地に宮殿を置いたと伝承されている。上町台地を削り、河内湖と大阪湾を結ぶ運河=堀川を掘削する大土木工事を行ったようである。 古代の難波宮周辺は、西に大阪湾、東に河内湖(潟)の間を南北に貫く岬のように突き出した上町台地の北端部分【下図参照】である。 大阪の古地理図(弥生時代中期) (c)趙哲済・松田順一郎 大阪の古地理図 河内湖Iの時代(弥生〜古墳時代) (c)梶山彦太郎・市原実 建造された当時、巨大古墳は葺石に覆われた石山のような景観 瀬戸内海を航海してきた中国や朝鮮の交易船は、大阪湾で堺市の大仙古墳(伝・仁徳天皇陵)ミサンザイ古墳(伝・履中天皇陵)を望み、河内湖に入ると羽曳野市の誉田御廟山古墳(伝・応神天皇陵)などの巨大古墳を望みながら、わが国へ上陸したことであろう。 ちなみに、現在各地で見られる古墳は松などの樹々が生い茂る森のような外観をしているが、古代に建造された当時は異なる景観であったようだ。エジプトのピラミッドなどと同様に、頑丈な葺石に覆われ、円筒埴輪などが並べられた人口の石山(石塚)のような景観をしていたと推察されている。 海上を曳行する船から望むと、素晴らしい眺めだったであったろう。 ■葺石  http://ja.wikipedia.org/wiki/葺石 葺石に覆われた景観を再現した五色塚古墳 葺石に覆われた景観を再現した五色塚古墳 難波宮付近は、海外各国との交流拠点となる国際貿易の港 難波宮付近は、当時、中国や朝鮮半島との交流の拠点となる国際貿易港であった。大規模な倉庫群跡も発掘されている。時代の先端を行く流行の発信基地だったのだ。 上町台地の西側=現代の大阪市中心部(北区・中央区・西区など)は、当時は海=大阪湾であった。京...

四天王寺ワッソ:見応えがあった白頭学院生徒たちの<夢舞>ムーブ

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難波宮(なにわの宮)を舞台にした古代の国際交流を再現したお祭り 舞い踊りながら巡行する女性たち 船鉾にのった使節 11月4日は、四天王寺ワッソを見学した。飛鳥・奈良時代の国際交流を現代に再現したお祭りである。ワッソとは韓国語で「来た」という意味のようだ。 日本の総理大臣、韓国の大統領から祝辞が届くレベルのお祭りである。野外で開催されるために、雨天中止となることがあるのが残念である。 ■四天王寺ワッソ http://www.wasso.net/index.html  聖徳太子をはじめ日本の朝廷の人々が迎えるなかを、耽羅・加耶、百済、高句麗、新羅、朝鮮王朝などの使節団が巡行。古代衣装に身をつつんで仮装した人々が、通路やステージ上で舞い踊る姿がエキゾチックである。 中でも印象的だったのが、韓国系の民族学校・白頭学院建国学校の生徒たちによる韓国伝統舞踏。<夢舞>ムーブと名付けられた舞踏は見応えがあった。ラスト部分のアリラン合唱と演舞が感動的。日頃の鍛錬ぶりが偲ばれる熱演であった。少年少女の若々しい輝きにみちた舞踏が、巡行のフィナーレを飾るという演出は見事である。 日韓友好のシンボルともいえる締めの和太鼓・しまい太鼓も見事なできばえ。間近に見ることができて、迫力があった。ワッソHPの記事によれば、民団大阪が練習会場を提供したようである。これもまた国際交流の証といえるだろう。 仏教伝来の当時、日本で最初に建立された寺院・四天王寺 四天王寺は593年に聖徳太子が建立したと伝えられるお寺。 仏教伝来の当時、日本で最初に建てられた寺院であり、海外の賓客をもてなす迎賓館の役割も担っていたとされている。 四天王寺ワッソは、1990年に第1回開催。当時は、谷町9丁目から四天王寺にいたるメインストリート谷町筋がイベント会場であったが、2001年事情により開催中止となった。その後、主催者を変更して2004年に復活。再開後は、ワッソの会場が難波宮史跡公園に変更された。