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2024年10月10日木曜日

だんじり祭、ちょっとウレシくなる光景_その2

子供たちが、だんじり祭を楽しみながら遊ぶ姿を見る幸せ

定年でリタイアして以来、コロナで中断された年を除いて、毎年だんじり祭りを見学に出かけている。

見学の楽しみは、子供たちが大人たちと一緒になってだんじり祭を楽しんでいる光景を見ることである。


休憩時に地車に乗って鉦太鼓を叩き、だんじり囃子を奏でる。大屋根に上がって大工方の仕草をまねる。前テコを操作し、後ろテコをブランコ代わりに遊ぶ。ミニだんじりを疾走させる。

曳行の先頭を世話役の長老たちと歩く。子方となって大人といっしょに綱を曳く。



少子高齢化の影響か、曳き手の主力となる青年団の人数が減っているようである

他地域から応援のメンバーが参加していることも多いと聞く。その分、曳行に参加している小学生の子供たちも増加しているような気がする。

雨の中を頑張って綱を曳いている姿に、胸が熱くなる思いをすることもある。心配する親の気持、自分だけ楽はできないと頑張る子の気持ち。どちらもよく分かる。


子供たちが思い思いに遊んで楽しむ、岸和田だんじり祭の光景をYouTubeに収録した。来年もまた、健やかに祭礼を楽しんでいる姿を願う。



2024年10月9日水曜日

だんじり祭、ちょっとウレシくなる光景_その1

東岸和田だんじり祭りの試験曳きを見に行って来ました

岸和田市のだんじり祭は、9月に浜手エリア、10月に山手エリアで開催されます。

山手エリアでもさらに数ヶ所に分かれて行われますが、東岸和田地区は11町が集まって連合曳行されます。JR東岸和田駅を起点にする周回コース、主な見所の場所でやり回しを見学。

夕暮れになると、JR東岸和田駅からさらに東の山手エリアだんじりが、試験曳きを終えて次々に帰町します。ちょっとウレシい光景を見ることができました。

曳行を終えて帰町するだんじりの上で、大工方が交代するのを発見。

だんじり祭で注目を集める花形といえば、大工方。メインで大屋根に上がっていた大工方が、交代しているのです。先輩から後輩へ交代でしょうか。優しい気配りがうれしい光景です。

大工方を引き継いだ若者が、大屋根の上で楽しげに舞う姿を見てこちらもハッピーになりました。







2012年10月11日木曜日

行基参り:お寺の境内に13台のだんじりが並ぶ八木だんじり祭


だんじり祭といえば、岸和田が代名詞。中でも旧市内のだんじり祭が有名であるが、9月の祭礼のほかに10月の祭礼もあることは、地元以外ではあまり知られていない。9月のだんじり祭は浜手地区がメインであるが、10月のだんじり祭は山手地区を中心に行われる。
10月の岸和田山手だんじり祭の中では、八木地区の行基参りが断然興味深い。
だんじり祭は神社の祭礼であるのは「常識」。しかし、行基参りではお寺に参詣して「宮入」するのがユニークである。
久米田寺の境内にやり回しをして宮入
多宝塔・本堂を背景にして並ぶだんじり

行基は、奈良時代の高僧。当時は一般民衆への布教が禁じられていたが、禁を破って布教活動を行った。貧民救済事業や、農業用の溜池開削や堀溝などの治水事業、架橋などの土木事業などを展開した革命家ともいえる人物。朝廷からはたびたび弾圧されたが、民衆の圧倒的な支持を受けていることが聖武天皇に認められて、東大寺の建立にも寄与した立派な人物である。
八木地区では、大阪府最大の溜め池・久米田池を開発して田畑の灌漑に大きく貢献した。兵庫県伊丹市の昆陽池、大阪府大阪狭山市の狭山池も行基が開削したものである。
行基が創設した寺院・久米田寺が池のほとりにある。周辺の町々のだんじり13台が、その遺徳に感謝してお堂に参詣するのが行基参りである。高台にある久米田寺に向かって、早朝から曳き出しされただんじりが、ふもとの各町から上ってくる。
朝9時、久米田池のほとりから久米田寺へ向かってやり回し。威勢良く宮入が始まる。
はじめのうちは余裕のあった境内の敷地も、次から次へと宮入するだんじりと曳き手たちでどんどん埋まってくる。
曳行用に空けられた狭い進路を、巧みに使って疾走するだんじりの姿は見事。
最後は13台のだんじりが、寺院の敷地内に収まってしまう。多宝塔や本堂など、お寺の建物を背景に幟旗を立てて装った多数のだんじりが勢揃い。
大屋根に乗った大工方や子供たち、だんじりを取り囲む法被姿の町衆たちが談笑する光景は、微笑ましく幸せな時間を満喫できるひとときでもある。


2012年10月10日水曜日

だんじり祭の華、大工方:大屋根に乗らない濱八町


上だんじり(濱八町)の大工方
カチアイ
だんじり曳行は、綱の曳き手だけではなく前梃子、後梃子などさまざまな役割の人々の共同作業である。中でも花形は、大工方。大屋根の上に乗って舞踊る姿は、だんじり祭の華ともいえる。大屋根の後方にある小屋根に乗る大工方は、後梃子に転回の合図を送る重要な役割を担う。
濱八町だんじり祭では、大工方も他の地域とは異なる特長がある。大工方が大屋根には乗らないのである。
これは、おそらくカチアイによる転落防止への配慮かと思う。
濱八町だんじり祭では、他の地域にはないカチアイという独自の祭事がある。通常曳行中は大屋根に乗ってもいいが、カチアイ時には降りることといったルールでは、うっかりミスを防げないという知恵であろう。

下だんじり(岸和田)の大工方
下だんじり(岸和田)の前梃子
ちなみに、だんじりの形状は、上だんじりと下だんじりのふたつに大別される。岸和田は下だんじりの代表格。一方、濱八町は上だんじりである。上だんじりを曳行している町でも、カチアイを行わない濱八町以外では、大工方が大屋根にのるケースもあるそうである。
上だんじりと下だんじりの構造的な違いはいろいろあるが、大きな違いは岸和田型の下だんじりでは、本体と分離した左右2本の前梃子(持ち手が細く先が太い棒)が特長である。やり回しの転回をする際、前梃子を地面に突き刺してブレーキの役割を果たさせる。
上だんじりでは、本体と分離した前梃子ではなく、構造的に本体に組み込まれた横棒が前梃子の役割。下だんじりのように地面に突き刺して操作できるわけではないので、舵取りとしての機能はかなり弱くなる。やり回しは、背後の後梃子が転回の決定的な役割を果たすことになる。
前梃子と後梃子の両方でやり回しを行う下だんじりの方が、急速度の転回をしやすい。このため、上だんじりを所有している町でも下だんじりに買い替えしたり、下だんじりを新調したりするケースが近年は増加している。






だんじり同士を激突させる、濱八町だんじり祭カチアイ


関西では、例年秋、各地でだんじり祭が開催される。代表格は、岸和田だんじり祭である。
一般的な知名度は低いけれど、稀少価値が高くユニークなのが、泉大津市の濱八町だんじり祭である。濱八町では「カチアイ(搗ち合い)」が見どころ。停止しているだんじりの背後から曳行してきたもう一台のだんじりが、前のだんじりに向かって全速力で疾走し、激突させるのが「カチアイ」である。
カチアイ



だんじり曳行の大きな見せ場は、一般的には疾走しながらだんじりを急転回させるやり回しであるが、濱八町ではやり回し以上に「カチアイ」が花形。ガチンコでぶちかましが成功したときには、曳き手はもちろん観衆からも拍手喝采が巻き起こる。
だんじりの背後には後梃子という太い丸太棒が突き出している。「カチアイ」では、前のだんじりの後梃子に後続のだんじりの前正面が激突する。後梃子のぶつかるだんじり前面には当て板が装備されている。
濱八町地域のだんじり・前部に当て板を装備している


だんじり祭は五穀豊穣を祈念する祭事であり、「カチアイ」は男女の交合をシンボライズしたものと思われる。
岸和田だんじり祭は、泉大津市のだんじりを借りてきて始まったということなので歴史的には岸和田より先輩ということになる。