今年最後のお祭り、石津太(いわつた)神社の火渡り神事「やっさいほっさい」を見学してきた。
太古の昔、戎(えびす)さんが浜に漂着した時に、漁師たちが篝火を焚いて迎えた故事に因む火祭である。
江戸時代から、毎年、12月14日に行われてきたと伝承される。戎(えびす)さんは、七福神のひとつ。七福神の絵図では、釣竿を持ち鯛を釣り上げた姿で描かれることが多い。
石津太神社の創建は、おそろしく古い。社伝によれば、紀元「前」469年と伝承されている。『古事記』『日本書紀』に伝えられる第5代天皇、孝昭天皇の時代である。神社の石柱には、我が国最古のえびす神社と記されている。
参道の広場には、2〜3mの高さに祈願用の薪が格子状に積み重ねられている。夜、8時。照明が消えて真っ暗になり、神火が薪に点火される。
上半身は裸、白いサラシの胴巻きとパッチのいでたちの男たちが、「やっさいほっさい」という掛声をかけながら点火された薪の周辺を回る。
かなり勢いよく火が燃え上がり、火の粉がはじけて飛んでくる。祭事の進行状況を説明する女性アナウンサーが「今年はとくに、勢いよく火が燃え上がるようです。危険ですからご注意ください」と警告するほどである。
点火から約1時間たった、9時。いよいよ、火渡り神事が始まる。
戎(えびす)神に仮装した神人を、3人の若者が担いで本殿から参道の広場へやってくる。両足を前ひとりがかつぎ、後ろふたりが背中と両腕を支える。
東の鳥居側から、西の本殿へ向かって熾き火の上を一気に駆け抜ける。
熾き火を駆け抜けた直後に、足を担いだ前のひとりが転んでしまうハプニングがあったが、大事にはいたらなかったようでひと安心。
本殿からもう一度広場へ戻ってきて、西から東へ熾き火を渡る。さらに引き返して東から西へ火渡りを行い、引き続いて神社のまわりを「やっさいほっさい」と掛声をかけながら周回する神事に向かう。
えびす神に扮した神人を担いで火渡り |
火渡りの途中で転倒 |
戎(えびす)神たちの火渡り神事が終わったあとは、一般の参拝客も火渡り神事に参加できる。熾き火の上を、次々とひとびとが駆け抜ける。
若者だけではなく、幼児を肩車してかついだ父親や、若い女性、小学生の子供たちも喜々として火渡りを行っている。
まだ火のついた熾き火の上を駆け抜けるのは怖いと思うけれど、平気なようである。わざわざ足摺して、熾き火から炎を燃え上がらせている元気なひとたちもいる。
泉州の奇祭というモノ珍しさか、外人さんたちも見学に来ているあたりが面白い。
熾き火の上を火渡りする一般の参拝者 |
熾き火の上を火渡りする少年 |
■Wikipedia石津太神社
火渡り神事「やっさいほっさい」が行われる石津太神社は、大阪府堺市の南部。石津川が大阪湾へそそぐ河口に近いエリア。
この地域は、大仙陵古墳(伝・仁徳天皇陵)や上石津ミサンザイ古墳(伝・履中天皇陵)など巨大古墳が集中する百舌鳥古墳群の南西部に位置する。
古代には石津川上流に須恵器産地があり、河口は瀬戸内海から大阪湾を経て古墳築造用の石が運ばれた港であった。紀元前数百年に創設された、我が国最古のえびす神社であるとしても不思議ではない土地柄である。
境内には戎(えびす)神が腰掛したとされる石も鎮座している。現在は、小規模な神社であるが、最盛期はかなり大規模な社領を有していたらしい。朝廷や豊臣秀吉などの崇敬の厚い神社であったようである。
■Wikipediaえびす