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2014年5月16日金曜日

當麻寺、春の大祭。動く立体曼荼羅、練供養会式を拝観。

5月14日。奈良県の西部、二上山のふもとにある當麻寺(当麻寺)春の大祭、聖衆来迎練供養会式を拝観してきた。

聖衆来迎練供養会式(以下、練供養会式)は、当寺で尼僧となった藤原氏のお姫さま中将姫が聖衆二十五菩薩に導かれて極楽往生する様子を再現。年に一度、1000年以上に渡って行われてきた法会である。
當麻寺・中之坊HP
http://www.taimadera.org/
當麻寺・西南院HP
http://taimadera-sainain.or.jp/
ウィキペディア
http://ja.wikipedia.org/wiki/聖衆来迎練供養会式
http://ja.wikipedia.org/wiki/中将姫
1時過ぎに寺を訪れ仁王門をくぐる。白鳳時代7世紀に創建されたと伝えられるが、想像以上に規模の大きいお寺である。
屋台が並ぶ境内を歩くと、板敷きの細長い掛橋が見えてくる。幅1m長さ100m、高さはひとの頭くらい。練供養会式の舞台となる来迎橋である。正面に見える本堂・曼荼羅堂と手前の娑婆堂とを結んでいる。
練供養の法会は4時から。待ち時間に中之坊、西南院、本堂を拝観する。
本堂へ続く掛橋・来迎橋
多くの人でにぎわう境内
4時になり、練供養が始まる。僧侶と着物姿のふたりの少女に導かれて中将姫の御輿が、本堂から娑婆堂へ来迎橋を渡って行く。
西の本堂・曼荼羅堂は極楽、東の娑婆堂は現世を象徴している。姉妹であろうか、少女の表情や仕草が愛らしい。
中将姫の御輿と少女
中将姫の御輿を先導する少女
続いて僧侶が、本堂へ入り読経が始まる。男女の稚児さんたちが親たちに手をひかれて橋を渡り、次いで僧侶が歩む。
可愛い稚児さんたち
僧侶の行列
僧侶に次いで聖衆二十五菩薩が、黄金や白塗りの仮面を装って本堂から娑婆堂へ来迎橋の上を列をなして続く。
天女に導かれる二十五菩薩
黄金の仮面をつけた二十五菩薩
足音とともにシテ役の観音菩薩が現れる。仏の座る蓮華台を両手に捧げ、振り上げ振り下ろしながら、身をよじり、相撲の四股を踏むように左右に足を踏み分けながら歩む。次いで、勢至菩薩が白手袋で合掌しながら左右に身をよじり歩み、最後に、天蓋を掲げた普賢菩薩が来迎橋を娑婆堂へ向かう。
蓮華座を手にした観音菩薩
蓮華座に仏はなく、空座
本堂前でしばらく待っていると、シテ役の観音菩薩が再び姿を現す。両手に掲げた蓮華台には中将姫の小さな仏像が据えられている。
観音菩薩の両手に奉じた蓮華台が、行きは空座。帰りは仏像が据えられている有様が、劇的で印象深い。
観音菩薩を先頭にして極楽へ戻る二十五菩薩
中将姫の仏を据えた蓮華座を奉じる観音菩薩
観音に次いで勢至菩薩、天蓋を掲げた普賢菩薩が現れ、娑婆堂での法会を終えた二十五菩薩が次々と極楽へ向かう。
観音菩薩に続く、勢至菩薩・普賢菩薩
次々と極楽へ上る二十五菩薩
二十五菩薩に次いで、稚児さんたちや僧侶の列が続き、最後に中将姫の御輿が本堂へ戻ってくる。
本堂・極楽堂へ戻る僧侶
行列の最後に本堂へ戻る中将姫の御輿
動く立体曼荼羅ともいえるこの練供養会式。寛弘2年(1005)比叡山の恵心僧都・源信が、「中将姫の昔を慕って聖衆来迎の有様を見んがために、二十五菩薩の装束と仏面を作って、寄進したのにはじまる」と伝えられる。源信は「往生要集」を著し、浄土教の基礎を作った高僧である。
農民をはじめ一般のひとびとに極楽往生を理解してもらうためには、あれやこれやの理屈や言説ではなく、リアルに実感し体験してもらうのが一番だ。最初に行われたとき、よほど衝撃的な効果を達成したのであろう。祭礼は、現代に至るまで1000年以上も継承されてきたのである。
この法会を企画し実現させた源信たちは、かなりの知恵者といえる。
當麻寺のある葛城は、源信の生まれ故郷。母親は知的で信心深い人柄のようで、源信も深く敬愛していた。源信は、母への愛惜の思いを中将姫への敬慕に重ねて供養しようとしていたのではないかとも思われる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/源信_(僧侶)
■追記
練供養会式の参加者、中将姫を迎える観音菩薩を演じる人のインタビューをみつけたので紹介しておきたい。
http://www.dydo-matsuri.com/list/shoujurai/