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2024年10月10日木曜日

だんじり祭、ちょっとウレシくなる光景_その2

子供たちが、だんじり祭を楽しみながら遊ぶ姿を見る幸せ

定年でリタイアして以来、コロナで中断された年を除いて、毎年だんじり祭りを見学に出かけている。

見学の楽しみは、子供たちが大人たちと一緒になってだんじり祭を楽しんでいる光景を見ることである。


休憩時に地車に乗って鉦太鼓を叩き、だんじり囃子を奏でる。大屋根に上がって大工方の仕草をまねる。前テコを操作し、後ろテコをブランコ代わりに遊ぶ。ミニだんじりを疾走させる。

曳行の先頭を世話役の長老たちと歩く。子方となって大人といっしょに綱を曳く。



少子高齢化の影響か、曳き手の主力となる青年団の人数が減っているようである

他地域から応援のメンバーが参加していることも多いと聞く。その分、曳行に参加している小学生の子供たちも増加しているような気がする。

雨の中を頑張って綱を曳いている姿に、胸が熱くなる思いをすることもある。心配する親の気持、自分だけ楽はできないと頑張る子の気持ち。どちらもよく分かる。


子供たちが思い思いに遊んで楽しむ、岸和田だんじり祭の光景をYouTubeに収録した。来年もまた、健やかに祭礼を楽しんでいる姿を願う。



2024年10月9日水曜日

だんじり祭、ちょっとウレシくなる光景_その1

東岸和田だんじり祭りの試験曳きを見に行って来ました

岸和田市のだんじり祭は、9月に浜手エリア、10月に山手エリアで開催されます。

山手エリアでもさらに数ヶ所に分かれて行われますが、東岸和田地区は11町が集まって連合曳行されます。JR東岸和田駅を起点にする周回コース、主な見所の場所でやり回しを見学。

夕暮れになると、JR東岸和田駅からさらに東の山手エリアだんじりが、試験曳きを終えて次々に帰町します。ちょっとウレシい光景を見ることができました。

曳行を終えて帰町するだんじりの上で、大工方が交代するのを発見。

だんじり祭で注目を集める花形といえば、大工方。メインで大屋根に上がっていた大工方が、交代しているのです。先輩から後輩へ交代でしょうか。優しい気配りがうれしい光景です。

大工方を引き継いだ若者が、大屋根の上で楽しげに舞う姿を見てこちらもハッピーになりました。







2024年8月6日火曜日

祇園祭の久世駒形稚児はご存知でしょうか。素盞鳴尊の愛馬駒形を胸に抱いて神輿を先導します。

久世駒形稚児は、祇園祭の神輿渡御で重要な役割を果たす稚児です。

祇園祭の稚児といえば山鉾巡行・長刀鉾の稚児がよく知られています。
しかし、祭礼の核となる役割を果たす稚児が、別にいることはあまり知られていません。
その稚児とは、白馬に騎乗して神輿を先導する久世駒形稚児です。稚児は、京都市南区にある綾戸國中神社の氏子から選ばれます。
例年は神幸祭・還幸祭それぞれを担当するふたりの稚児が選ばれていますが、少子高齢化の影響等などもあり、2024年はひとりとなりました。 
東京在住、父と祖父も駒形稚児の役を担った家柄の少年です。 

7月17日、駒形稚児の騎馬姿を見に久しぶりに京都へ行ってきました。

以前から、稚児ゆかりの綾戸國中神社を一度は訪ねてみたいと思っていました。
山鉾巡行を午前中見学。神輿渡御・神幸祭の夕刻まで空き時間があるので、この機会にと思い都心部からは少し離れた京都市南区にある神社にお参りしました。 
手水舎にはバラの花手水が施されていました。

神社の由緒書きなどを拝観していると、ちょっとうれしいハプニング。祭礼の衣装を身につけた久世駒形稚児とご家族や神社関係者の方々に出会ってしまいました。
祇園祭・神幸祭の神輿渡御の先導を務めるために集まり、ちょうどこれから八坂神社へ赴くところの様子。出立する稚児の一行を見送らせていただきました。

稚児は白馬に騎乗 素盞鳴尊の愛馬の駒形を胸に抱いており、神の化身とみなされます。

駒形稚児は、素盞鳴尊の愛馬の駒頭を胸に抱いており、神の化身とみなされます。
素盞鳴尊の愛馬・天幸駒は、綾戸國中神社の祭神でもあります。
八坂神社の南楼門から騎上のまま境内に入り、拝殿を三巡後、地を踏むことなく本殿に昇殿できます。國中神社と八坂神社の関係は「國中社は素盞鳴尊の荒御魂なり。八坂郷祗園社は素盞鳴尊の和御魂なり。依って一体にして二神、二神にして一体で神秘の極みなり」と古文書に記され、「御神幸の七月十七日に訓世の駒形稚児の到着なくば、御神輿は八坂神社から一歩も動かすことならぬ」とも伝えられています。

綾戸國中神社の所在地は、京都市南区。鄙びた趣のある小さな神社です。

それだけに、祇園祭・神輿渡御の核となる役割を担う稚児を、維持継承されてきたご苦労はひと方ならぬものがあると思います。
久世駒形稚児を担ってきた代々の少年たちと、稚児のご家族や神社関係者に感謝。
凛々しい駒形稚児の姿を末長く見続けることができれば幸いです。

※久世駒形稚児 (くぜこまがたちご) ※素盞鳴尊 (すさのおのみこと) 
※綾戸國中神社   (あやとくなかじんじゃ)

YouTube動画 祇園祭:騎馬姿で神輿渡御を先導する久世駒形稚児

綾戸國中神社 由緒書き


綾戸國中神社 久世駒形稚児


久世駒形稚児 八坂神社南楼門から騎馬のまま境内へ



久世駒形稚児 八坂神社境内、神輿が据えられた舞殿を周回


久世駒形稚児 京都市都心を御旅所へ巡幸する神輿を先導


2023年6月8日木曜日

ジャンプを、スローでもう一度:男子走幅跳 橋岡優輝

橋岡優輝の跳躍シーンをSlowmotionで再生しました。
東京オリンピック走幅跳6位。世界トップクラスのジャンパーです。
第107回日本陸上競技選手権大会で3連覇を目指して出場。
ライバルの城山正太郎と競い合いましたが、惜しくも2位。

ジャンプを、スローでもう一度:男子走幅跳 城山正太郎

2019年、橋岡優輝が8m32の日本記録を出した直後に、
8m40を跳び日本記録を更新した選手。
城山正太郎の跳躍シーンをSlowmotionで再生してみました。
大阪のヤンマースタジアムで行われた
第107回日本陸上競技選手権大会で日本記録保持者が初優勝です。

2021年1月4日月曜日

ヤマガラの水遊び

近所の公園の水鉢に野鳥ヤマガラがやって来て水遊びをしている。寒い冬の季節なのに元気一杯でした。


2015年3月17日火曜日

夜間の動画と写真撮影、東大寺二月堂のお水取り・お松明でチャレンジ

今日(3月17日)は、すっかり春めいた陽気である。
関西では「お水取りが終わると、春」といわれているが、その通り。日差しも、暖かい。

東大寺二月堂の修二会は、奈良時代752年から開始。以来1260年以上、毎年欠かさず行われてきた。前行、本行をあわせてほぼ1ヶ月、準備期間を加えれば3ヶ月にも及ぶ大きな法要である。
行中の3月12日深夜(13日午前1時半頃)には、「お水取り」の儀式が行われる。また夜ごと大きな松明に火がともされるため、修二会はお水取・お松明の愛称で親しまれている催事である。本行は3月1日〜14日。
うち、6日と13日に奈良へ出かけ、夜間の動画と写真撮影を試みた。
動画撮影はSONYハンディカムHDR CX720V。夜間のためLow Luxにチェックを入れ、あとはカメラにおまかせのオート撮影。お堂の内部から撮影した。
ビデオカメラCX720Vは、夜間撮影に強い。Low Lux設定のためか画像が少し青白ぽい感じであるが、補正の仕方が分からないのでYouTubeにはそのままアップした。
動画の途中で、激しい足音が聞こえる。入堂したお坊さん(練行衆)が、走りの行法という荒行に挑んでいる音である。木の沓(さしかけ)を履いて、本尊十一面観音の周りを全力疾走で駆け回りながら一人ずつ五体投地。やがて、木の沓を脱いでしまいはだしで走るようになる。懺悔の荒行である。


写真撮影はCANONのEOS7D。写真の一例がこちら。
左は、本堂内部から撮影。右は、お堂の回廊下から見上げて撮影。
修二会の法要を勤める練行衆の道明かりとして、夜毎、大きな松明に火がともされる。松明は長さ8m、重さ50キロ。根付の竹筒先端に杉玉をつけたもの。
ISOはいずれも6400。カメラを購入した当初、高感度で撮影した写真はノイズが目立ちすぎてダメと思っていた。
あるとき、たまたま画像処理アプリケーションDigital Photo Professionalでノイズが除去できることを知った。「ツールパレット>NR/Lens/ALO」の中に、ノイズの緩和メニューがある。
フラッシュは厳禁、三脚も禁止という条件なので、ISOを限度いっぱいの6400に設定して撮影した。シャター速度1/125ではレンズの開放値F3.5、1/80の場合はやや絞りこめてF5.0で撮影した写真である。
露出補正はなしであるが、プラス補正をしなくても適正露出という印象である。
元の写真はノイズがかなり目立つ。しかし、画像処理アプリケーションを使うとノイズが簡単に除去できるのである。
以前、ISOを800や1600で撮影したときは真っ暗になってしまった。プラス補正でも無理があった。
しかし、ISOを6400まで上げてノイズ除去の画像処理をすれば、夜間でもそれなりの写真が撮れるのではないかと思う。次の機会にはISO 3200でもテストしてみたい。
★二月堂お水取りの写真アルバム(本年以前に撮影したものも含む)
https://picasaweb.google.com/100688261626365550186/_TodaiJiShunieInNARA?authuser=0&feat=directlink

2015年3月7日土曜日

小学生ラグビー全国大会、ヒーローズカップの熱戦を観戦

第7回ヒーローズカップを見学してきた。小学生ラグビーの全国大会である。小学生とは思えない、ハイレベルなプレイに驚いた。日頃、かなり厳しい練習を積み重ねてきたことが明らかにわかる試合ぶりである。

出場は関東・関西・九州・東北各地から集まった16チーム。大会初日、2月28日・土曜は大阪市の鶴見緑地公園球技場で開会式と予選トーナメント。2日目、3月1日・日曜は東大阪市の花園ラグビー場で順位決定トーナメントと閉会式。花園でプレーする。子供たちにとって、なかなか得難い体験ができる大会である。
各チームの試合の様子を動画撮影してYouTubeの下記チャンネルにアップした。
出場した子供たちが見てくれるとうれしい。大会運営にかかわった方々、ご苦労さまでした。

1)大会運営で感心したトーナメントの方法

通常の勝ち抜きトーナメントでは、弱いチームは敗退すると1試合しかゲームできない。
しかし、ヒーローズカップの方式であれば、弱いチームも強いチームと同様に4試合のゲームができる。
初日、予選トーナメントは抽選で4チームづつグループわけ。初戦を闘い、次いで勝者同士&敗者同士で闘う。2戦全勝の1位から2戦全敗の4位まで4組のグループを決定する。
2日目、順位決定トーナメントは4組のグループごとに試合。予選と同様に初戦を闘い、次いで勝者同士&敗者同士2試合行う。1位グループ4チームの勝者同士が決勝、敗者同士が3位決定戦。2位グループ以下も同様に2試合行い、順位を決定する。
ノーサイドという言葉にこめられた、ラグビー精神が活かされたグッドアイデア。よく考えられたシステムである。

2)合同チームを組んで初出場した東北ユナイテッド

東北ユナイテッドは、松尾雄治が活躍した全盛期の新日鉄釜石を思わせる赤いジャージ。
総合優勝したつくしヤングラガーズと、初戦ぶつかってしまった。強い相手と闘い、実戦で学ぶ。いい経験になったと思う。
その体験を活かしたのか、花園では2試合のうち1勝をあげることができた。

3)黄色と黒の縞模様ジャージ

優勝した福岡のつくしヤングラガーズの他にも、黄色と黒の縞模様ジャージを着ているチームがあった。指導者が阪神タイガースファンなのかなとぼんやり思っていたが、自宅に帰ってネットで調べてみて納得。日本で最初にラグビーを始めた、慶応義塾大学のジャージにちなんだものらしい。ラグビーの素人。無知が少し恥ずかしい。

4)女子の選手も男子に交じって活躍

数は少ないけれど、女子の選手も男子に交じって出場しているチームがあった。中学生になるとムツカしいが、小学生のラグビーならではの面白さである。
素早くパスをだす様子が、サマになる。果敢にタックルしている様子も微笑ましい。

5)花園はあいにくの雨、日本代表のヘッドコーチ、エディ・ジョーンズも観戦

2日目はときどき小雨の降る天気。雨天決行がラグビーの常識とはいえ、子供たちにとっては気の毒な試合環境であった。
特別ゲストとして日本代表のヘッドコーチ、エディ・ジョーンズさんが招かれていた。観戦して、場内放送で子供たちを励ましていたことも印象に残る。

2015年1月29日木曜日

職人芸を感じさせるシブイ映画「ミッドナイト・ガイズ」

年末にWOWOWで放送された映画「ミッドナイト・ガイズ」を見た。
主演アル・パチーノの名前があるのでとりあえず録画しておいたが、正解であった。脚本・演出・カメラなどの制作スタッフと演じる役者たち。それぞれの立場で役割をみごとにこなし、シブイ職人芸を感じさせる映画である。
28年間の刑期をつとめ上げて釈放された男、アル・パチーノ。出獄を出迎える親友、クリストファー・ウォーケン。ふたりの友人、老人ホームに収容され死を間近にしたアラン・アーキン。昔は相当のワルであったと思われる老人3人。罪は犯してはいるけれど卑劣なことはせずに年老いた男たちが、友情と侠気を示してカッコ良く人生におさらばする物語である。
クリストファー・ウォーケンは、マフィアのボスにアル・パチーノを殺せと命じられている。出所から丸一日、期限は翌日朝10時。
彼は親友を殺せるのか、という心理的な葛藤を軸に物語は進む。人気のドラマ「24」を思わせる展開である。
アメリカ映画らしいカーチェイス、格闘シーンや銃撃戦、祖父と孫娘の無骨な愛情、精神的な葛藤の心理劇、パロディっぽいお色気シーンも盛り込んで約1時間半の映画に手際よくまとめている。
アラン・アーキンの娘役として、「ER」「Good Wife」の女優ジュリアナ・マルグリーズも「ER」と同じく看護婦役で出演していい味をだしている。
サスペンスドラマではあるが、どことなくとぼけた雰囲気のある映画である。
<制作スタッフ>
監督/フィッシャー・スティーヴンス、脚本/ノア・ヘイドル
<公式ウェブサイト>
http://midnight-guys.jp/
<ウィキ>

2015年1月9日金曜日

花園ラグビー場・第94回全国高校ラグビー、印象に残った好試合

前年度は決勝戦のみ観戦したが、今年度は地元大阪の代表校3校が出場する12月31日の2回戦から決勝戦まで観戦した。
ラグビーに関してはルールや用語もあまり知らない素人である。専門的な知識はないので、観客として動画や写真をとる視点からみて印象に残った好試合を上げておきたい。

1)準々決勝:大阪桐蔭vs國學院久我山

前半リードされた大阪桐蔭が、後半に逆転。久我山のフォワードが左サイドに押し込むが堅守を崩せず、桐蔭がリードを保ったまま終わるかと思われた後半タイムアップ寸前。ボールをバックスに出し、左から右へ次々とパスして右隅にトライ。劇的な再逆転トライで久我山が勝利した。
前後半共に、滞りのないスピーディーな試合運び。モールやラックからボールを出して、次々とパスをつなぎバックスが疾走する。
両チーム共に、全国大会で優勝経験のある強豪チーム。前半は比較的ゆったり、後半は急展開。めまぐるしく攻守が入れ替わるゲームとなり、観戦していて楽しい試合であった。
動画を編集する際、面白い部分をつなぎ合わせるよう心がけている。出来るだけ短くコンパクトにまとめているが、この試合はカットする部分が少ない好ゲームであった。

2)準決勝:尾道vs東福岡

尾道は、準々決勝・大阪朝高との対戦タイスコア。抽選で勝ち上がったチームである。
東福岡高校は圧倒的な強さ。優勝候補の対戦として注目された東海大仰星との試合でも開始早々の独走トライで一気に流れを決めた。
その東福岡が唯一苦戦したのが尾道戦である。前半は12対12のタイスコア。前半終了間際には、尾道がトライを決めて勝ち越すかと思われるプレーもあった。
後半は地力の差が出てスコアが開いたが健闘した。
全国高校ラグビーに関する専門家としての講評としては、「横井章の魅力あるラグビー」というブログが参考になる。
東福岡戦については<尾道が、「前へ出る・素晴らしいディフェンス」を魅せた。あれが「小よく大を倒す」やり方では、なかろうか。そして「世界に対するジャパンのオリジナルな戦い方」としても、推奨するものである>と高く評価している。

3)決勝の前座試合:U18合同チーム東西対抗戦

ラグビーは格闘技である。少子高齢化の時代でもあり、部員数が不足するため大会に参戦できない高校も少なくない。そうしたチームの選手で合同チームを組み、花園でラグビーをする機会を提供しようとするプロジェクトである。決勝戦の前に、前座試合として行われる。この試合については、別途ブログをアップ済。

もうひとつの花園、U18合同チーム東西対抗戦を観戦

第94回全国高校ラグビー決勝戦の当日、U18合同チーム東西対抗戦を観戦に出かけた。
もうひとつの花園と愛称される東西対抗戦は、部員数不足のため大会に参加できない選手たちが、合同チームを組んで花園でラグビーをするという夢を叶える試合である。 
決勝は2時キックオフ。その前座試合として12時半から行われる。 
この試合の存在を知らなかったので、昨年はゲーム途中からの観戦になってしまった。
今年は早めにでかけて切符を買い、スタジアムに入る。
ちょうど運良く、記念撮影をする場面にであうことができた。
U18合同チーム東西対抗戦とプリントされた横断幕の前で、選手たちがいい笑顔を浮かべている。横断幕は開催年度などを差し替えできるようになっているのが微笑ましい。 
今年で第7回を迎える、もうひとつの花園U18合同チーム東西対抗戦。無骨なラガーたちの心のやさしさが示されたすばらしい企画だと思う。 
少子高齢化時代、ラグビーをする子供たちが減少しているという背景はあるとはいえ、こうした試合を企画して実現。それを継続させるのは容易ではない。 
この試合の発案者は、前田嘉昭さん。 
前田さんは元・高校教諭、校長。上記wikiの記事をみても一本筋の通った骨のある人物のようである。教育者というのはこういうひとのことだと思う。 
決勝戦・御所実業vs 東福岡の試合はTV放映され、新聞等でも大きく報道されている。 
もうひとつの花園、東西対抗戦はマスコミで大きくとりあげられることもなく、観衆も多くはなかった。 
しかし試合の方は、ハツラツとしたプレーが応酬する好ゲーム。女性主審・川崎桜子さんのキビキビした審判ぶりも印象に残った。ラグビーの強豪・帝京大の学生さんである。 
ゲームの模様を動画でYouTubeにアップ。素人の拙い動画であるが、出場した選手たちや関係者の方々にぜひ見てほしいと願っている。 
東西対抗戦関連のプロジェクトを支援しているのは神戸製鋼KOBELCO。ラグビーの強豪チームであるが、阪神・淡路大震災で大きな被害を受けた企業でもある。震災復興で支援を受けたひとびとへのご恩返し、という気持も込められているのであろう。企業メセナにふさわしい活動である。 

2014年11月18日火曜日

神護寺・西明寺・高山寺、京都市北部「三尾」の紅葉名所をハイキング

京都市郊外、三尾(さんび)の名刹として知られる紅葉の名所を訪ねた。

三尾の由来は、高雄(尾)山・神護寺、槇尾山・西明寺、栂尾山・高山寺、いずれの寺名にも「尾」が含まれているから。清滝川に沿って並ぶお寺は、高雄三山とも呼ばれる。
少し肌寒い気候であったが好天にもめぐまれ、名刹の境内や清滝川沿いの紅葉巡りを楽しんだ。
「三尾」の紅葉巡り、約1万2000歩・6kmの行程、歩行時間およそ2時間のハイキングである。以下、ハイキングの行程。

1)京都駅前、JRバス高雄・京北線「栂ノ尾・周山方面」行きバスに乗車

通常は1時間に2本、所用時間50分〜1時間。「三尾」もよりのバス停まで通常料金520円であるが、往復切符を買うと800円。往復2割ほどトクである。紅葉の季節とあって臨時バスが運行しており、途中仁和寺までノンストップ。運良く乗ることができた。急行バスなので45分程度の乗車。

2)山城高雄バス停下車、神護寺へ参拝

バス停からお寺へ向かう参道は清滝川への下り坂。朱塗り欄干の高雄橋を渡ると、今度は長い急な上り坂となる。
神護寺
■神護寺  左)表参道から望む楼門 中)金堂前の石段 右)毘沙門堂から金堂を望む

参道石段の鬱蒼とした樹々が形づくる暗いトンネルの向こうに、楼門前の紅葉が見える。明暗のコントラストが色あざやかである。
楼門をくぐると広大な境内が目の前に広がる。見頃を迎えた紅葉が美しい。
平安時代に和気清麻呂が創建。最澄、空海ゆかりのお寺でもあるので立派なお堂が建ち並ぶ。金堂へ向かう階段とその左右の紅葉が絵になる。
地蔵院前の広場では、遥か下に望む清滝川へ向かって厄除のかわらけ投げを楽しんだ。

3)神護寺参道、硯石前の茶屋で昼食。清滝川沿いに西明寺へ向かう。

楼門を下り、参道硯石前の茶屋で小休止。目の前に広がる見事な紅葉を眺めながら、あったかいウドンを食べる。その後、川沿いの紅葉を眺めながら清滝川沿いに西明寺へ向かう。

4)清滝川から上がる表参道、境内紅葉の密度が濃い西明寺

平安時代に神護寺別院として創建された。その後、一時廃れたが和泉国槇尾山寺の我宝自性上人が中興。こじんまりしている分、紅葉の密度が濃い印象である。参拝者は鐘突きも楽しむことができる。
西明寺
■西明寺 左)表参道へ向かう指月橋 中)三門 右)本堂の庭園

途中、裏参道へ向かう橋があるがこれは渡らないこと。もうひとつ先、北側の指月橋を渡る表参道から入る経路の方が眺めがいいからだ。表参道の途中からは、清滝川の河原へ降りることができる。

5)深閑とした聖域、心が鎮まる世界遺産・高山寺

指月橋を渡りバス道を通って高山寺へ向かう。表参道の坂道を上がると、境内には杉・松の巨木が生い茂っている。
高山寺
■高山寺 左)表参道 中)杉木立の中を金堂へ上がる石段 右)石水院の庭園

金堂へ向かう杉木立の表参道はとりわけ印象深い。緑の色濃い木立の中に紅葉が映える深閑とした光景は、お寺というよりは神社に近い印象である。
神護寺のように立派な堂宇は現存していないが「山色を佛体とし、渓聲を法語とする」聖域。世界遺産にふさわしい風格である。
金堂へお参りした後、石水院へ。座敷から色鮮やかな紅葉を楽しんだ。
帰りは裏参道から、もよりの栂尾バス停へ。5分程度の待ち合わせで、運良くJR京都駅前行きの臨時バスに乗車できた。栂尾バス停発、午後3時。
京都駅前でバスに乗ったのが午前10時過ぎ。往復バス&名刹と清滝川ハイキングで合計5時間、三尾の紅葉巡りである。
◎高山寺 http://www.kosanji.com/  
神護寺・西明寺・高台寺周辺のハイキング地図


2014年11月10日月曜日

富士通ワープロから始まりMacへ、懐かしいパソコンの思い出

1)最初は富士通のワープロOASYS 30MS
最初に購入したパソコンは富士通のOASYS 30MSであった。1989年、価格は15〜6万円位であったがボーナスで思い切って購入した。かな漢字変換に「親指シフト」という独自の規格を採用していたワープロ専用機である。
富士通のワープロOASYS 30MS
購入した当時は、パソコンやワープロは会社に数台程度しか装備されていない。書類作成のために、社外から派遣スタッフに毎日きてもらって作業を代行してもらうという時代である。企画部門の同僚がマーケティング資料の作成などに活用していた。
手書きで広告コピーを制作していた私としては、制作趣意書や企画書などにも活用できるため興味関心はあった。しかし、利用できる社内スタッフはごく限られており、超多忙。教えてもらうのも気が引けて、遠慮していた。
作成だとか更新とか、無愛想なワープロ初期画面でわけが分からない。マニュアルを参照しながら操作するとなると、自分専用に1台購入するほかない。と、いうわけで思い切って購入した。
自宅で、気兼ねなく機械を扱えるため、意外と容易にワープロ操作できるようになったのはラッキーであった。
ワープロ専用機とはいえ、表計算やお絵描きのような機能もついており、実質的にはパソコンである。このため、パソコンに対する臆病さや無用な警戒感が解消されたのが大きい。

2)Macを初めて買ったのはPerforma6210

1995年の年末である。会社でプロ用のハイエンド機にふれる機会はあったが、50万円以上の価格。フォントや印刷用標準アプリケーションを装備すると、100万円程度必要。自宅で使用するパソコンとしては高価で、とても手がでなかった。
最初のMacintosh Performa6210
ところが、クリスマスセールのため、CANONのコンパクトなプリンタ付きで25万円の特価となっていた。当時のマックとしては廉価だったので、思い切って購入した。
ハードディスク容量は800MB。CPUのクロック数75MHz。1GBに満たないこのHD容量を余裕があり、クロック数を速いと自慢していた時代である。モニターはSONYの15インチ。モニタ左右天地のラインがすっきりとした直線なのも気に入った。
当時はまだ、インターネットも普及しはじめの段階であったが、ネット接続も簡単という売り文句であったと記憶している。
ディスプレイと本体が一体型のPerfomaも販売されていたが、ずんぐりむっくりのかたちが気に入らなかった。

3)Macを使用、まず感じたのは愛嬌のよさ

起動時にはボ〜ンというけっこうデカイ音がなり、可愛い顔のイラストが表示される。エラーを起こしたときには、爆弾のイラストがでる。
結構ひんぱんにフリーズして爆弾がでるが、ニクメナイ感じなのである。無愛想なワープロ初期画面やパソコンの起動画面とは大違いである。
マニュアルを読んで解決したが、電源Offのアイコンが隠されているのにも最初はとまどった。
正月に起動したときに、新年おめでとうのアイコンが出て立ち上がったのには驚いた。粋なパソコンだなと、すっかり好きになってしまった。
年賀状を印刷しようとして、フォントを変更するとモニタ画面から郵便マークが突如として消えてしまったのにも驚いた。文字化け問題である。
当時のパソコンは、NECのPCシリーズがまだ強かった時代。他社メーカーのパソコンも、ビジネス用の事務機として無愛想なイメージであり、Macとは大違いであった。
Macを購入した1995年は、世界的にヒットしたWindows95が発売された年でもある。以降、Windowsパソコンのシェアが急速に高まる

4)モニターに表示されるフォントのキレイさにも驚いた

パソコンやワープロは、文字幅が一定の等幅フォントが当時の標準。しかし、Macの初期設定フォントOSAKAや装備したフォントは文字によって幅の異なるプロポーショナルフォントが標準。字間のつめ具合がスマートで、フォントのかたちも洗練された美しさである。
写植機メーカー・モリサワのフォントもゴチック&明朝2書体標準装備されていた。ちなみにモリサワは大阪が本社である。
半角のかなカナという見た目にも不細工な文字は使っていない。
フォントがキレイなのは、創業者のスチーブ・ジョブスが学生時代にカリグラフィー(西洋書道)を勉強していたことも関係していたようだ。
当時の印刷で主力となっていたのは写植文字によるオフセット印刷。商業印刷用の精彩なモリサワフォントは購入する必要があった。プリンタにインストールするフォントは1ファミリーあたり5万円くらいして高価であった。
当時、写植のNo.1メーカは写研であり、モリサワは第2位メーカーであった。MACによるDTP印刷の急速な普及により、フォントメーカーとしてはモリサワが逆転した。
しかし、パソコンを使ったDTP印刷の急速な普及により、文字組版を行う写植自体が印刷のプロセスにおいて不要となってしまった。写植マーケットが消滅してしまったのは皮肉な結果である。音楽分野でのSONYウオークマンとiPodの関係を想起させるできごとである。

5)以来、何台かMACを買い替えて現在のiMacへ

廉価型のパーフォーマから、中古ではあるがPowerMacintosh8100を購入できたときの喜びも忘れがたい。
ジョブズが復帰して開発。大ヒットしたおむすび型の初代カラフルiMacは、ちょっとオモチャぽくて興味がわかなかった。iMacG4もデザインが、いまいちで見送り。
初代のカラフルiMac
しかし、薄型液晶モニターの一体型iMacG5が登場したときには驚いた。ホレボレするほどのかっこいいデザインである。価格的にもリーズナブルであったので、古いPowerMacintoshから2004年に買い替え。机の上の大きなモニタと足下のタワーPCがなくなり、いっぺんにすっきりしたことがなつかしい。
動画撮影を趣味にするようになり、SD対応ビデオカメラから精細なHDハイビジョン動画を撮影できるカメラに買い替えした。
PowerPCのiMacG5ではハイビジョン動画を扱えないので、現在のインテルCPUのiMAC8,1に2008年乗り換えた。
8,1は数年愛用しているが、そろそろパンクの懸念もある。最新の機種への買い替えも検討課題であるが、最新の機種に買い替えすると、愛用しているアプリケーションiWEB・iDVDが使えない。
当面は、動画データをこまめにバックアップしてパンクするまで使い続ける予定である。

2014年11月9日日曜日

HP制作が簡単にできるiWEB。新しいiMacに買い替えると使えない。

ホームページを久しぶりに更新した。プロバイザから割り当てられたドメインに、データをCyberduckを使ってアップしている。
データを上書きする際、フォルダの階層が食い違ってしまいアップデートには苦労した。
このHPは、iMACに付属しているアプリケーションiWEBを利用して制作したものである。
iWebを使って制作したホームページ
見た目それなりのデザインのHPが素人でも作成できるので、アップル社のシステム開発者には感謝している。
YouTubeにアップした動画をHPに貼付けるのも容易。iPhotoを使ってパソコンに保存した写真をHPにあしらうのも簡単である。
1995年、最初に購入したパソコンがMacintosh Performa6210。大昔からのMACユーザーとしては、さすがアップルと少々自慢である。
撮影した動画はiMovieに読み込んで編集。YouTubeに投稿したり、iTUNEの音楽をメニュー画面やスライドショーのBGMにつけてDVDに焼いている。
iDVDを使って制作したDVDのタイトルと動画インデックス
iDVDというアプリを使うと、何本かの動画をそれらしく編集してDVDに焼くことができる。自宅や友人宅のテレビでも鑑賞できるので、結構楽しむことができる。
残念なのは、傑作といってもいいアプリケーションiWEB・iDVDが、数年前からすでに製造中止。「廃盤」になっていること。
現在愛用している機種はiMAC8,1である。2008年に購入した。OSはX 10.5.8。故障もせず現役であるが、いつパンクするか心配でもある。
動画データを扱うにはHD容量300GBではチカラ不足なので外付けHDにバックアップしている。
OSX 10.5.8の場合、最新のアプリケーションが利用できないといった問題もある。例えば、ブラウザFireFox/Safari/Chromeの最新版は利用できない。
最新の機種への買い替えも検討課題であるが、大きな問題がある。最新の機種に買い替えすると、愛用しているアプリケーションiWEB・iDVDが使えない。アップル社にしてみれば、ホームページやDVDは時代遅れ=過去の遺物と見切っているのであろう。
iDVDで愛用している機能がある。数本のMovieを組み込んでDVDに焼くときに、表紙&目次になるイントロMovieを簡単に編集できる「テーマ」である。
DVDのイントロ部分を編集するこの機能は、最新のiMovieに組み込まれているようである。
MACを買い替えする場合は外付けのDVDドライブを接続すれば、動画編集と焼く作業は問題なく行えるかも知れない。
iWEBについては、別のアプリに乗り換える他ないようである。
現在のHPデータの移行はムツカしいと思うので、新規にイチから作らなければならない。その気力が残っているか、ちょっと自信がない。

2014年10月20日月曜日

和泉だんじり祭、急な坂道を上る聖神社への宮入りと神輿渡御

和泉市の信太・幸地区、信太連合のだんじり祭は、聖神社への宮入りと神輿渡御が見どころである。今年はじめて見学にでかけた。

熊野街道に近い山裾の住宅街にある一の鳥居から山上の神社へ、標高差約50m・約400mの急な長い坂道を上ってだんじりが宮入りする。
曳き手にとってはひどく疲れを感じる、関西の方言でいうとかなりシンドイ宮入りである。
各地のだんじり祭の中でも、もっとも過酷で厳しい宮入りかも知れない。
曳き手たちはだんじりを曳いて、急な坂道を掛声とともに上がって行く。だんじりは4トン近い重さ。厳しく辛い曳行である。
神社へ上がる坂道の途中では、白い上下の衣装に身を包んだひとびとが数十人出迎え。曳き手たちを拍手で迎え、激励する。
身体的に過酷でハードな分、坂道を上り切って山上神社の二の鳥居が見えてくるときの喜びも大きいはずだ。
聖神社へ宮入りするだんじり
山上の神社へ向かって、長い急な坂道を上って宮入りするだんじり

もうひとつの特長は、神輿渡御である。
当番町のひとびとが聖神社から神輿を担ぎ出し、禅宗のお寺・蔭涼寺へ参詣した後、御旅所を経て氏子の町内へ神輿渡御を行う。
坂の途中でだんじりを迎えたひとびとは、神輿を担ぐ当番町・上代町のひとたちである。
聖神社の境内、宮入りしただんじりの前を神輿が渡御する

信太連合のだんじりは、上町・上代町・尾井町・王子町・葛の葉町・幸町・太町・富秋町・宮本町の9町。神輿を担ぐ今年の当番町は、上代町である。
神輿当番町を除く8町のだんじりが見守る中を、白い上下衣装のひとびとが神輿を担ぎ境内を練り歩いた後、宮出する。だんじりと神輿が神社境内でいっしょに並ぶ渡御の光景は、他地区のだんじり祭ではあまり見かけない光景である。
各町のだんじりは宮出の後、鶴山台団地の中でやり回し。坂を下ってふもとの各町へ帰り、午後はだんじり曳行を休止する。
宮入りが行われる本宮の日は、氏子の町々を神輿が渡御するからである。
このため、和泉市、信太連合のだんじり祭は、宵宮・本宮・後宮の3日間にわたって行われる。
聖神社は和泉五社のひとつ。創建は白鳳3年(675年)、あるいはもっと古く神武天皇東征の際とされるほどで、かなり古い由緒のあるお宮さんである。
豊臣秀頼が造営したとされる本殿は、建て替えられて真新しくなっている。

2014年10月19日日曜日

JR津久野駅前合同宵宮祭。駅前広場を清掃する母子の姿が印象的。

だんじり祭も一段落である。泉州エリアでは、9月は岸和田旧市と春木がメインとなるが、10月は岸和田山手のほか、各地で行われるので見学先の調整がムツカしい。
今年、初めて見学した祭のひとつが、堺だんじり祭のJR津久野駅前合同宵宮祭。

津久野地区7台・八田荘西地区4台、計11台がJR阪和線「津久野」駅前ロータリーに集まり、セレモニーの後、周辺を合同曳行する。
駅前ロータリーに各町から次々とだんじりが集まり、整列して行くありさまは見応えがある。
曳行コースの中では、駅前ロータリーから線路沿いに北へ上がるS字カーブが難所。スピーディに駆け抜けることはなかなかムツカしい。腕の見せ所である。
ロータリーを南東へでてすぐの四つ角も見せ場。各町競ってやり回しに挑むありさまが見どころである。
セレモニーの後、各町だんじりが合同曳行するために出て行った後、駅前ロータリーで放置されたゴミを掃除する女性たちの姿を見かけた。
中にひとり、少年が混じっている。母親と語り合いながら、大きなゴミ袋を手に駆け回って清掃を手伝っている。だんじりの後尾を追いかける幼児が、振り返って清掃する母子の姿を見つめている。
JR津久野駅前合同宵宮祭
駅前ロータリーを清掃する母子と、その姿をみつめるだんじり後尾の幼児


業者に任せるのではなく、だんじりを曳く町のひとびとが自主的に清掃する姿は各地で見かける。
祭の後、道路や広場をすっきりときれいにして、けじめを見事につけている姿が清々しい。
ロータリーを清掃する母子と、その姿をみつめる幼児の姿が印象的である。

2014年10月2日木曜日

宵宮・早朝の曳き出しは、岸和田だんじり祭の「華」。

岸和田だんじり祭・宵宮、早朝6時前から行われる曳き出しを今年も見学してきた。

早起きして、貝源・小門の交差点へ午前5時前に到着。
かんかん場から南海岸和田駅前へつづく本通商店街は、夜中といってよい時間にもかかわらずラッシュアワーのように人びとが行き交っている。
曳き出し前の打ち合わせを終えた各町の役員たちが、着流し姿で年番本部から街路へ出てくる。
献灯台の提灯の明かりに照らされて、北町のだんじりがすでにスタンバイ。やり回しの名所・かんかん場のすぐ近くとあって見物客もひときわ多い。
昨年は、かんかん場で宵宮一番のやり回しを撮影した。今年はやり回し前の曳き出しの様子を撮影したいと考えて、浜七町のだんじりが並ぶ疎開道へ向かう。
かんかん場で一番手としてやり回しを行う大北町のだんじりが、小屋を曳き出されたのが5時5分頃。周辺はまだ暗い。
曳き出しまで少し時間があるので、疎開道へ戻る。だんじりの本場中の本場とあって、通りにはたくさんの人びとが行き交う。
5時15分頃、中北町のだんじりの大屋根には大工方が上っている。
大工方は大屋根を右から左へ、左から右へ跳躍してウォーミングアップ。献灯台の提灯の明かりに照らされた、その姿が美しい。祭りが間もなく始まるという緊張感と喜びにあふれた姿である。
岸和田だんじり祭 宵宮 曳き出し

夜の闇から空が薄明るくなるにつれて、曳き手たちがどんどん集まって来る。
5時45分頃、大北町のだんじりが最初のやり回しをして疎開道へ現れ、かんかん場へ向かう。
待ちかねたように、中北町のだんじりが猛烈なスピードでかんかん場へ疾走する。中北に次いで大手町も歓声をあげて追走。
曳き出しの場合、だんじりが走るスピードは各町共に圧倒的に早い。
浜七町と南町・本町・堺町のだんじりが、疎開道を次々とかんかん場へ駆け抜けるありさまは見応えがある。
宵宮の曳き出しは、岸和田だんじり祭の「華」。
1年間待ちかねた祭の始まりにふさわしい、緊迫感と昂揚感にみちた祭事である。
早朝にもかかわらず、有料観覧席も満席に近い状態。見る方も、その価値を十分心得ている。
岸和田山手から曳き出しを見学に来る人たちのために、今年は臨時バスが運行された。いい試みだと思う。

2014年9月6日土曜日

祭囃子や大工方のカワイイ仕草、だんじり祭は子供たちも主役。

岸和田だんじり祭、いよいよ明日が試験曳き。本番も1週間後に迫った。

祭を前にして、準備をする町の様子を撮影しながら、改めて気がついたことがある。
それは、岸和田だんじり祭は子供たちも主役ということ。 
例えば、だんじり囃子。小・中学生はもちろん、幼稚園の年頃と思われる年齢の幼児でも、鉦・太鼓を巧みに操り演奏する。 
だんじりの太鼓台に上がり鉦・太鼓に子供たちがふれていても、大人たちは叱らず、黙って見守っている。 
ほど良い距離感の接し方は、年季が入っており好感が持てる。
岸和田だんじり祭の子供たち
岸和田だんじり祭の子供たち
子供たちを、町の人々みんなが育てて行く。
一般的にはすっかり廃れてしまったそんな気風が、だんじり祭という祭礼を絆として現在も生きている印象である。
団扇を手にして大工方の真似をする。おもちゃのだんじりを引っ張り曳行する。
肩車をする親の頭上でやり回しを見物したり、だんじりの後ろを追いかける。その、いずれの姿も、ほほ笑ましい。 
祭当日、宮入りするだんじりの大屋根に上っている幼児はちょっと自慢げである。 
台風シーズンと重なるため、だんじり祭は雨に見舞われることも多い。 
降りしきる雨の中をひるまず綱を曳いて走る少年団の子供たちの姿は、健気で神々しい。 
だんじり祭は子供たちも主役である。

2014年8月29日金曜日

祭まで2週間、上町だんじりの丹精こめたツツミ巻き作業を見学

岸和田だんじり祭が近い。岸和田市浜手の旧市&春木地区では9月、岸和田山手地区では10月に行われる。
例年は祭の当日のみにでかけていたが、昨年は試験曳きをはじめて見学。
今年は南町・中之濱町のだんじり修理後の披露曳行も見学して、祭当日だけではなく途中の日々もまた味わい深いことに改めて気づいた。

「岸ぶら」の小学生ブロガー・ケロスケくんの「自転車で駆け巡るだんじり小屋」という面白い記事に誘われて、祭を間近にした町の様子を見学にでかけた。
http://kishibura.jp/blog/kero/2014/08/%e3%81%a0%e3%82%93%e3%81%98%e3%82%8a%e5%b0%8f%e5%b1%8b.html/trackback
お目当ては、ケロスケくんが「昭和4年に作られただんじりなので、木の色が濃い」とコメントした上町のだんじり。上町は、岸城神社への宮入り順がくじ不要の2番と決まっている。
このだんじりは、町が景気のいい頃に作られた傑作である。素材のケヤキは一級品。造作や彫刻も出来がいいと定評があるようだ。
30〜40代くらいの年配のベテラン数人を中心に、青年団の数十人の若者たちがだんじりの曳行準備をする様子を運良く見学できた。江弘毅さんの「だんじり若頭日記」によるとツツミ巻きという作業のようだ。
岸和田 上町だんじり

ツツミ巻きは、前梃子を差し込む舵取り部分の重要な綱(だんじりの前面下部にある8の字を横にしたかたちに結ばれた綱)を編み込んで行く作業である。
木槌で打ったり、ひとが上に乗って踏ん張ったり、青年団が綱をぎゅっと引いたりしながら2時間あまり。入念で綿密に緊縛していく様子はさすがである。
作業の途中、大工方の団扇を手にした小学低学年くらいの少年がだんじりに上がり、ひとりでだんじり囃子を奏でる。最初は手のひらで、ついで大太鼓・小太鼓のバチを持ちあざやかに独演。なかなか見事な演奏である。
地車の調整は何か少し課題が残ったようであるが、綱の緊縛を終えた後は囃子方の青年たちがだんじりに上がり祭囃子の練習開始。笛のパートがいなかったのは残念であったが、だんじり囃子を楽しむことができた。
間近にじっくり彫刻を見学できたのもうれしい。
岸和田 上町だんじりの彫刻

地車の調整に数時間かけて取り組むプロセスをみて、華やかな曳行を支える影の苦労の一端にふれた気がする。祭を見学する方は気楽でいいが、曳行する方は大変である。しかし、また、苦労の多い準備作業を和気あいあいと楽しげに行っているあたりが面白い。

2014年8月22日金曜日

歯科の待ち合い室で「さっちゃんのまほうのて」を読んだ。胸を打たれるいい絵本である。

治療にでかけた歯科の待合室で、待ち時間に絵本「さっちゃんのまほうのて」を読んだ。
たばたせいいち、先天性四肢障害児父母の会、のべあきこ、しざわさよこの共同制作。1985年に偕成社から出版されたロングセラー。味わい深い絵本である。
絵本 さっちゃんのまほうのて

表紙の絵と書名タイトルにひかれて、手に取ってしまった。泣いている女の子の表情からは深い悲しみと激しい怒りが感じられる。子供向きの絵本とは思えない異様な緊張感のある絵である。
成人した子供を持つ、いい年のオヤジが子供の絵本を読む。あまり見栄えの良い姿ではないが、内容にひかれて最後まで読んでしまった。
生まれつき手に障がいをもつ幼稚園児「さっちゃん」の物語である。
絵本 さっちゃんのまほうのて

友達から心ない言葉をかけられて傷つき、泣いて帰った「さっちゃん」。小学生になったらみんなと同じように手に指が生えてくるかと、母に問いかける。
指は生えてこないと真摯に答える母。答えを聞いた「さっちゃん」の悲しみと絶望。母と子の緊迫した対話に胸を打たれる。

絵本「さっちゃんのまほうのて」

園をしばらく休むようになってしまったが、弟が生まれたこと、父や母、友達や幼稚園の先生などに励まされて再び元気になって行く。きっかけのひとつが、産院からの帰り道に父とかわした会話である。
絵本 さっちゃんのまほうのて

さっちゃんと手をつないで歩きながら、語りかける父のことばが素晴らしい。
『それにね さちこ、こうして てをつないで あるいていると とっても ふしぎな ちからが さちこのてから やってきて おとうさんのからだ いっぱいに なるんだ。さちこのては まるで まほうのてだね』と、励ます。
幼い子供と手をつないで歩くひとときは、ちょっと幸せなかけがえのない時間である。つなぐその手がハンディをもっている子供なら、なおさら思いは深い。
さっちゃんと手をつないでいるとき、父は娘をこころから愛おしく感じる。
子供の手のぬくもりから、元気をもらい励まされるのである。
苦難の少なくないはずの娘の人生に、幸多かれと願い、その手助けをしたいと思う父の覚悟が清々しい。
絵本の制作にあたってのいきさつ等は、下記のコメントを参照。
◎野辺明子さん:著者の一人として、絵本「さっちゃんのまほうのて」を語る

2014年8月6日水曜日

岸和田・中之濱町だんじり、大修理後の熱気にあふれたお披露目曳行。

だんじり祭を間近に控えた岸和田で、中之濱町のだんじりが8月3日ひとあし早く曳行した。

大修理しただんじりの、お披露目曳行である。修理を終えただんじりが、岸城神社にお参りして清祓いを受け入魂式。その後、たくさんの観衆に見守られて熱気にあふれた曳行を披露した。
朝6時からの曳行に合わせて早起きして見物に出かけたが、早朝にもかかわらずたくさんのだんじりファンが集まっているのに驚いた。
だんじりの前後、綱の曳き手や後に続くひとびとが多いのも印象深い。だんじり祭の本場ならではの現象だろう。
本番の連合曳きと比較して、曳き手の笑顔が多く、表情が和やかである。曳き綱の前やだんじりの後ろを歩く私服のひとたちの比率が、本番より多いような感じがする。単独のお披露目曳行ならではの特長かも知れない。

中之濱町は、通称「なかんば」。だんじりの本場・岸和田の中でもだんじり魂が最も熱いエリア・浜七町のひとつである。浜七町は小学校区の全町にだんじりがあることで知られている。
中之濱町のだんじりは、先代地車を空襲で焼失させた町民が、日掛けで資金を集め昭和26年に完成させた。
『岸和田だんじり讀本』の著者&編集者・江弘毅さんの下記ブログに、浜七町の祭り気質や中之濱のだんじりが出来上がった経緯について詳しく紹介されている。味わい深い内容なので一読してほしい。
*「日本一だんじりなエディター」江弘毅の甘く危険な日々:「かしみん」のこと
ちなみに、NHK朝ドラ『カーネーション」で小篠三姉妹のひとりジュンコ役を演じた女優・川崎亜沙美さんが中之濱町出身である。
入魂式のため岸城神社へお参りする中之濱町だんじり


だんじりの前部、正面欄干に横綱土俵入りの姿が木彫り像として据えられているのも面白い。江戸時代、城内で行われた相撲大会で町内の力士が優勝したことにちなむらしい。
だんじりを先導する纏や曳き手の法被の背中には、相撲の軍配団扇の中に「天下泰平」の文字が刻まれている。大工方の法被の背中にも「天下泰平」の文字がくっきりと。なかなか粋な、カッコいいデザインである。
入魂式後、お披露目曳行する中之濱町だんじり

市役所横のこなから坂からスタート。岸城神社、カンカン場、船津橋、大手町周辺へ移動。完成から60年以上を経て、数々の思い出を刻んだだんじりが大修理を終えて曳行する姿を撮影した。
隣接する浜七町のだんじりが出迎え祝福する中を「なかんば」のだんじりが曳行するありさまは、部外者の私でも胸の熱くなる思いがする。
8時に曳行終了後、道路に捨てられたゴミや吸い殻を近隣町のひとたちが掃除している光景も印象的であった。


2014年7月30日水曜日

伊勢大神楽の獅子舞と、岸和田だんじり祭をつなぐ赤い糸。

だんじり祭を1ヶ月半後に控えた7月末の岸和田で、思いがけず獅子舞にであった。南町のだんじり修理入魂式後、地元の町付近を曳行する風景を見学した帰りである。場所は、紀州街道・本町まちなみ景観の保全地区。

白い上衣の篠笛奏者、真っ赤な獅子頭、獅子の下半身を覆う紺衣が色鮮やかである。黒っぽく渋い趣がある歴史的な町家建築の家並みに映えて美しい。
岸和田、紀州街道のまちなみ保全地区で獅子舞する伊勢大神楽

町のひとに訪ねてみると、伊勢大神楽の一行らしい。お伊勢参りに出かけられないひとのために神の使いが代わりに参拝、授与された神札を配りに地方の町や村を巡る。獅子舞と曲芸を披露しながら、無病息災や家内安全のお祓いをする神事である。江戸時代から行われており、無形民俗文化財に国から指定されている。
伊勢大神楽が岸和田市内を回檀するきっかけを作ったキーマンは、篠笛奏者・森田玲さんのようである。
森田さんブログの記載によれば、岸城神社での大神楽は平成15年に始まった。「昔はお伊勢さんから獅子舞が来ていたけれど、来なくなって寂しい」という話を何度も耳にしていた氏は、何とかして泉州地域への再訪を復活させたいと思い、岸城神社での「総まわし」を提案。岸城神社の賛同を得て再訪が実現し、市内の町々を巡るようになった。
岸城神社は、岸和田だんじり祭の核となる神社。だんじりが市役所横のこなから坂を駆け上がり、岸和田城のお堀端を巡りながら宮入りする先の神社である。
森田さんは岸和田高校出身、京大卒。岸和田高校は岸和田城のお堀端、岸城神社の隣にある府立高校である。伊勢大神楽との関わりの詳細は、下記ブログ参照。
◎篠笛奏者・森田玲のブログ

小学生くらいの少女の「よろしくお願いします」という声に導かれて、神楽の一行は紀州街道から海側へ路地を入り中町だんじりの前へ向かう。
中町だんじり前で、伊勢大神楽の獅子が舞っていたのにも理由がある。中町在住、だんじりなどの木彫を行う彫り師・河合申仁さんが、獅子頭の面を制作している。面の制作を仲介したのが、上記の森田さんである。詳細は下記ブログ参照。
◎木彫刻「賢申堂」河合申仁のブログ
獅子頭は、みごとな出来映えである。
河合さんの仕事柄、精巧なだんじり彫刻や上だんじりの獅子噛み・鬼熊なども手がけているはずなので出来のいいのは当然か。
岸和田、中町だんじりの前の伊勢大神楽
神事の最後に、子供たちの頭を獅子が噛み、子供が健やかに育つように祈願。だんじりの曳き手の大人たちも、獅子に噛んでもらい苦笑いしている姿が微笑ましい。悪霊払いの安全祈願である。
夏祭りのお囃子やだんじり囃子の源流も、この伊勢大神楽にあるらしい。
伊勢大神楽と、岸和田だんじり祭。ふたつをつなぐ赤い糸は、苦楽を共にするひとびととの絆を愛おしみ、幸多かれと願う思いかも知れない。
たまたま訪れた岸和田で、めったにお目にかかれない伊勢大神楽にであう。ちょっとうれしい一日であった。

2014年6月17日火曜日

身体障がい者陸上の日本選手権、選手たちの素晴らしいアスリート魂

大阪のヤンマースタジアム長居で、6月7日・8日開催された第25回日本身体障がい者陸上競技選手権大会(日本選手権)をはじめて見学。選手たちが真摯に競技へ立ち向かう光景に心をうたれた。
以下、強く印象に残った選手たちである。
■YouTubeマイチャンネル↓↓↓↓↓↓↓


◎山本篤選手
短距離走、走幅跳。義足の選手。初日最終レース、4×100mリレーアンカーの躍動感あふれるフォームによる力走は圧巻。第一走者 多川知希、第二走者 佐藤圭太、第三走者 芦田創、アンカー 山本篤。日本のトップクラスの選手が400mを大会記録の45秒25で走破した。200m走では日本新・アジア新、100m走でも日本新を達成した。スズキ浜松AC所属。
*闘魂_男子4×100m
◎堀越信司選手
視力障がいのT12クラス。1500m・5000m走のランナー。修行僧、あるいは伝説的なマラソン走者・アベベを思わせるような静かで凛然とした表情で、スピード豊かに駆け抜ける姿が印象に残る。NTT西日本所属。
*闘魂_男子5000m
◎藤井美穂選手
走高跳、走幅跳、100m走。背が高く、若く清楚で美しい義足の選手。現代っ子のお嬢さんといった印象である。走高跳では義足をはずして片足で走り、前へ跳び込むスタイルで大会タイ記録。ヘルスエンジェル所属。
*闘魂_走高跳
◎鈴木徹選手
走高跳。すらりとした長身、義足の選手。リズミカルに走る姿、高く飛翔する背面跳びのフォームが美しい。プーマジャパン所属。
*闘魂_走高跳
◎永尾嘉章選手
パラリンピックで活躍。車いすレースのパイオニアと評価される選手である。1963年生まれ51才であるが、若手に負けず100m・200m・400m車いすレースで優勝。健在ぶりを示した。400mは大会タイ記録。アナオリアスリートクラブ所属。
*闘魂_男子400m車いす
◎樋口政幸選手
中長距離の車いすランナー。2日目最終レース、1500mでは猛烈なスピードで独走。山本浩之・廣道純など他の有力選手をしのいで圧勝。初日の800mでも優勝。baristride所属。
*闘魂_男子1500m車いす
◎新田勝士選手
片手が不自由な中長距離ランナー。1500mでは、前日本記録保持者の木村祐樹選手と並んで走り、1周目のバックストレートで一気に抜き去り快勝。日本新記録を更新した。若手のホープ。順天堂大学所属。
*闘魂_男子1500m
◎中野雅之助選手
障がいが重いT31クラスの車いすランナー。手でこぐのではなく、片足のつま先でけりを繰り返して車いすを駆動。背もたれをゴールに向けて背走するスタイルで、100mを完走して大会新記録。年配の選手であるが、ファイティングスピリットが素晴らしい。大阪身障者陸協所属。
*闘魂_男子100m車いす
障がいの重いクラスは出場者が少なく、大会運営の都合で軽いクラスの選手と一緒になってレースを行う。このため大幅に遅れたり、周回遅れになったりする場合もあるが、重いクラスの選手が懸命に競技する姿には胸の熱くなる思いがする。
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身体障がい者陸上競技の日本選手権を見学して、記憶に残るエピソード。200m車いすレースで3〜4才くらいの男の子が「おとうさん、ガンバって〜!」と声をふりあげ応援している。微笑ましく心あたたまる光景である。
*闘魂_男子200m車いす

はじめて見学した記憶に残る大会であったが、残念なことがひとつ。全日本クラスの大会なのに、観客が少なかったこと。選手たちが奮闘している姿を、もっと多くのひとびとに知ってほしいと思う。父親を応援する幼い男の子のように、たくさんの観衆の声援と歓声に包まれながら競技できる日が来ることを心から願いたい。

2014年5月16日金曜日

當麻寺、春の大祭。動く立体曼荼羅、練供養会式を拝観。

5月14日。奈良県の西部、二上山のふもとにある當麻寺(当麻寺)春の大祭、聖衆来迎練供養会式を拝観してきた。

聖衆来迎練供養会式(以下、練供養会式)は、当寺で尼僧となった藤原氏のお姫さま中将姫が聖衆二十五菩薩に導かれて極楽往生する様子を再現。年に一度、1000年以上に渡って行われてきた法会である。
當麻寺・中之坊HP
http://www.taimadera.org/
當麻寺・西南院HP
http://taimadera-sainain.or.jp/
ウィキペディア
http://ja.wikipedia.org/wiki/聖衆来迎練供養会式
http://ja.wikipedia.org/wiki/中将姫
1時過ぎに寺を訪れ仁王門をくぐる。白鳳時代7世紀に創建されたと伝えられるが、想像以上に規模の大きいお寺である。
屋台が並ぶ境内を歩くと、板敷きの細長い掛橋が見えてくる。幅1m長さ100m、高さはひとの頭くらい。練供養会式の舞台となる来迎橋である。正面に見える本堂・曼荼羅堂と手前の娑婆堂とを結んでいる。
練供養の法会は4時から。待ち時間に中之坊、西南院、本堂を拝観する。
本堂へ続く掛橋・来迎橋
多くの人でにぎわう境内
4時になり、練供養が始まる。僧侶と着物姿のふたりの少女に導かれて中将姫の御輿が、本堂から娑婆堂へ来迎橋を渡って行く。
西の本堂・曼荼羅堂は極楽、東の娑婆堂は現世を象徴している。姉妹であろうか、少女の表情や仕草が愛らしい。
中将姫の御輿と少女
中将姫の御輿を先導する少女
続いて僧侶が、本堂へ入り読経が始まる。男女の稚児さんたちが親たちに手をひかれて橋を渡り、次いで僧侶が歩む。
可愛い稚児さんたち
僧侶の行列
僧侶に次いで聖衆二十五菩薩が、黄金や白塗りの仮面を装って本堂から娑婆堂へ来迎橋の上を列をなして続く。
天女に導かれる二十五菩薩
黄金の仮面をつけた二十五菩薩
足音とともにシテ役の観音菩薩が現れる。仏の座る蓮華台を両手に捧げ、振り上げ振り下ろしながら、身をよじり、相撲の四股を踏むように左右に足を踏み分けながら歩む。次いで、勢至菩薩が白手袋で合掌しながら左右に身をよじり歩み、最後に、天蓋を掲げた普賢菩薩が来迎橋を娑婆堂へ向かう。
蓮華座を手にした観音菩薩
蓮華座に仏はなく、空座
本堂前でしばらく待っていると、シテ役の観音菩薩が再び姿を現す。両手に掲げた蓮華台には中将姫の小さな仏像が据えられている。
観音菩薩の両手に奉じた蓮華台が、行きは空座。帰りは仏像が据えられている有様が、劇的で印象深い。
観音菩薩を先頭にして極楽へ戻る二十五菩薩
中将姫の仏を据えた蓮華座を奉じる観音菩薩
観音に次いで勢至菩薩、天蓋を掲げた普賢菩薩が現れ、娑婆堂での法会を終えた二十五菩薩が次々と極楽へ向かう。
観音菩薩に続く、勢至菩薩・普賢菩薩
次々と極楽へ上る二十五菩薩
二十五菩薩に次いで、稚児さんたちや僧侶の列が続き、最後に中将姫の御輿が本堂へ戻ってくる。
本堂・極楽堂へ戻る僧侶
行列の最後に本堂へ戻る中将姫の御輿
動く立体曼荼羅ともいえるこの練供養会式。寛弘2年(1005)比叡山の恵心僧都・源信が、「中将姫の昔を慕って聖衆来迎の有様を見んがために、二十五菩薩の装束と仏面を作って、寄進したのにはじまる」と伝えられる。源信は「往生要集」を著し、浄土教の基礎を作った高僧である。
農民をはじめ一般のひとびとに極楽往生を理解してもらうためには、あれやこれやの理屈や言説ではなく、リアルに実感し体験してもらうのが一番だ。最初に行われたとき、よほど衝撃的な効果を達成したのであろう。祭礼は、現代に至るまで1000年以上も継承されてきたのである。
この法会を企画し実現させた源信たちは、かなりの知恵者といえる。
當麻寺のある葛城は、源信の生まれ故郷。母親は知的で信心深い人柄のようで、源信も深く敬愛していた。源信は、母への愛惜の思いを中将姫への敬慕に重ねて供養しようとしていたのではないかとも思われる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/源信_(僧侶)
■追記
練供養会式の参加者、中将姫を迎える観音菩薩を演じる人のインタビューをみつけたので紹介しておきたい。
http://www.dydo-matsuri.com/list/shoujurai/