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2012年11月8日木曜日

四天王寺ワッソ:見応えがあった白頭学院生徒たちの<夢舞>ムーブ

難波宮(なにわの宮)を舞台にした古代の国際交流を再現したお祭り

舞い踊りながら巡行
舞い踊りながら巡行する女性たち
船鉾にのった使節
船鉾にのった使節

11月4日は、四天王寺ワッソを見学した。飛鳥・奈良時代の国際交流を現代に再現したお祭りである。ワッソとは韓国語で「来た」という意味のようだ。
日本の総理大臣、韓国の大統領から祝辞が届くレベルのお祭りである。野外で開催されるために、雨天中止となることがあるのが残念である。
■四天王寺ワッソ


聖徳太子をはじめ日本の朝廷の人々が迎えるなかを、耽羅・加耶、百済、高句麗、新羅、朝鮮王朝などの使節団が巡行。古代衣装に身をつつんで仮装した人々が、通路やステージ上で舞い踊る姿がエキゾチックである。
中でも印象的だったのが、韓国系の民族学校・白頭学院建国学校の生徒たちによる韓国伝統舞踏。<夢舞>ムーブと名付けられた舞踏は見応えがあった。ラスト部分のアリラン合唱と演舞が感動的。日頃の鍛錬ぶりが偲ばれる熱演であった。少年少女の若々しい輝きにみちた舞踏が、巡行のフィナーレを飾るという演出は見事である。


日韓友好のシンボルともいえる締めの和太鼓・しまい太鼓も見事なできばえ。間近に見ることができて、迫力があった。ワッソHPの記事によれば、民団大阪が練習会場を提供したようである。これもまた国際交流の証といえるだろう。


仏教伝来の当時、日本で最初に建立された寺院・四天王寺

四天王寺は593年に聖徳太子が建立したと伝えられるお寺。
仏教伝来の当時、日本で最初に建てられた寺院であり、海外の賓客をもてなす迎賓館の役割も担っていたとされている。
四天王寺ワッソは、1990年に第1回開催。当時は、谷町9丁目から四天王寺にいたるメインストリート谷町筋がイベント会場であったが、2001年事情により開催中止となった。その後、主催者を変更して2004年に復活。再開後は、ワッソの会場が難波宮史跡公園に変更された。


2012年10月26日金曜日

京都の紅葉名所を歩く:圓光寺(円光寺)

洛北・圓光寺(円光寺)は、小さなお寺であるが紅葉の名所として、知るひとぞ知るといった存在。



徳川家康が開設した学校に由来するお寺であり、隣接した山の高台に家康のお墓「東照宮」がある。
京阪電車の「出町柳」で叡山電車に乗り換え、「一乗寺」駅下車。
名前が同じお寺が左京区北白川山田町にあり、いったんそこに行ってしまった。
私と同じように、間違って訪ねるそそかしいひとがいるようで、「紅葉の圓光寺」は別という趣旨の張り紙がしてある。紅葉の圓光寺は、左京区一乗寺小谷町である。
備考)Google地図の場合、寺名を口(くにがまえ)のなかに員という文字のある「圓」ではなく、簡易な文字の「円光寺」で検索すると北白川のお寺が表示されるので要注意。
スマートフォン等で地図検索する場合は、所在地も含めた、京都市左京区一乗寺小谷町13 「圓光寺」で検索した方がいい。

いったん上った坂道を引き返して下り、出直してお寺を訪ねる。
山門も控えめな佇まいのお寺である。山門をくぐると、右手に十牛の庭とよばれる庭園がひろがる。左手の建物の手前には手水鉢と水琴窟がある。
手水鉢の水盤に架けられた竹筒の上に、ツバキの花一輪。手水鉢の近くには幼児のような表情をした、かわいいお地蔵さん。参拝するひとびとをもてなす、粋で風雅なこころ遣いである。
手水鉢のツバキ花一輪
手水鉢のツバキ花一輪
幼児のような表情の地蔵さん
幼児のような表情の地蔵さん

庭園に面した建物の座敷に座ったり、縁側に腰掛けて紅葉を眺めるたくさんのひとびとでにぎわっている。庭園の東北にある墓地の横にある小径を上った小高い場所には、徳川家康のお墓がある。ひっそりとした佇まいである。
鐘楼の南側には竹林がひろがる。庭園の紅葉と、緑あざやかな竹林との色の対比が目に心地よい。庭園の中にはこぢんまりとした池があり、紅葉の景観に彩りを添えている。
本殿の縁側に腰掛けて庭園の紅葉を眺める
縁側に腰掛けて庭園の紅葉を見る
庭園(十牛の庭)
庭園(十牛の庭)
鐘楼
鐘楼
庭園と竹林
庭園と竹林
近くに、詩仙堂がある。家康に仕えた武士でありながら朱子学や書・詩をたしなむ風雅な文化人でもあった石川丈山が建てた山荘である。
圓光寺も詩仙堂と同様に、高貴な心性を感じさせる史跡である。規模は小さいけれど、開設や維持管理にかかわったひとびとの心映えが偲ばれる。戦国乱世の厳しい時代を生き抜いた武人たちの、鎮魂の碑といえるかもしれない。
■圓光寺(円光寺)wikiページ     http://ja.wikipedia.org/wiki/円光寺
周辺の案内地図↓↓↓↓↓↓↓↓
https://maps.google.com/maps?hl=ja&q=園光寺+京都&ie=UTF-8

注)写真およびビデオは2011年11月に撮影したものです。

2012年10月25日木曜日

京都の紅葉名所を歩く:永観堂禅林寺

京都東山エリアで紅葉の名所として有名なのが、永観堂禅林寺。
平安時代初期に創建された当時は、真言密教のお寺であった。平安時代後期、永観律師が住職になった頃から浄土宗と真言宗が並立するようになり、鎌倉時代に浄土宗のお寺にかわる。
通称、永観堂は中興の高僧、永観律師の名に由来する。
境内はかなり広大である。南隣に南禅寺がある
JR京都駅から市バスで「南禅寺永観堂道」下車、徒歩5分程度。京都都心に近いこともあってか、たくさんの紅葉見物のひとびとでにぎわっている。
■永観堂禅林寺ホームページ http://www.eikando.or.jp/
周辺案内地図↓↓↓↓↓
https://maps.google.com/maps?hl=ja&q=永観堂禅林寺&ie=UTF-8  

総門から中門へ向かう参道の右には白壁の塀の向こうに庭園の紅葉が見える。
永観寺での紅葉見物はお堂内外のさまざまな角度から楽しむことができる。
釈迦堂
永観堂 釈迦堂前の庭園
古方丈
永観堂 古方丈前の庭園
まず、大玄関から入り、最初に目に触れる、釈迦堂・古方丈の間の小さな庭園の紅葉が見事である。渡り廊下で結ばれた千佛堂・御影堂・臥龍廊・開山堂・位牌堂・阿弥陀堂などを巡りながら、屋外の紅葉を楽しむ。
次いで、阿弥陀堂を降りて屋外へでて、東山山麓の多宝塔へ上り、山の紅葉と京都市街を見晴らす眺望を楽しむ。 
山の小径を降りて、再び境内へ戻り、放生池を囲む庭園をゆっくりと巡りながら、茶店でひとやすみといったかたちである。 
放生池庭園の茶店では、茶菓子を味わった。 
阿弥陀堂前の階段
阿弥陀堂前の階段
庭園から望む多宝塔
庭園から望む多宝塔

庭園のやすらぎ観音像のすぐそばには、お寺が経営する幼稚園がある。小さな子供たちが、歓声をあげて駆け回っている光景にこころが和む。南禅寺へ向かう小径には、幼児の遊ぶ姿をかたちどったお地蔵さまがあるのも微笑ましい。
わらべの小径の地蔵さん
わらべの小径に立つ地蔵さん


阿弥陀堂では、本尊仏のみかえり阿弥陀仏を拝観した。
像の高さ1m足らずの小さな仏様であるが、像のかたちが独特である。
お顔を像の正面ではなく横に向けており、視線はさらに背後へ向けている。やさしい慈愛にみちた表情の仏さまである。 
元々、東大寺宝蔵に秘蔵されていた仏さまであるが、永観律師が東大寺別当職を辞して禅林寺へ隠遁する際に、像を背負って奈良から京に入ったと伝えられる。 
■みかえり阿弥陀仏  http://www.eikando.or.jp/mikaeriamida.html
注)写真およびビデオは2011年11月に撮影したものです。

京都の紅葉名所を歩く:大河内山荘・竹林の道・天龍寺

紅葉の名所・嵯峨野。ひなびた山荘の趣がある常寂光寺の紅葉を楽しんだ後、天龍寺へ向かう。
池のほとりの道を南へ歩くと、旧山陰本線の路線を生かした観光電車のトロッコ嵐山駅。駅前のベンチに座り、おにぎりで軽く昼食を済ます。
滴水庵
大河内山荘 滴水庵
大乗閣
大河内山荘 大乗閣

天龍寺へ向かう途中、大河内山荘に立ち寄る。映画俳優、大河内伝次郎が約30年の年月をかけて丹精した別荘建物や庭園が保存されて公開されている。大河内伝次郎は当たり役・丹下左膳で知られる往年の大スター。メインの建物、大乗閣と庭園は、見晴らしのよい高台にある。
見どころは、滴水庵とその前庭。山の自然を生かした園遊路途中にある茶室である。縁台に腰掛けて、ゆったり眺める紅葉が素晴らしい。
■大河内山荘wikiページ http://ja.wikipedia.org/wiki/大河内山荘
茶室・滴水庵の縁側から望む庭園
茶室・滴水庵の縁側から望む庭園

大河内山荘から天龍寺へ向かう幅2mくらいの道の左右は、手入れの行き届いた竹林。紅葉巡りの人たちが、ひっきりなしに行き交う。
竹林の道
竹林の道
竹林の道
竹林の道



天龍寺の方向から、観光客を乗せた人力車が走ってきたのには少々驚いた。竹林の中を人力車が走り抜ける光景はなかなか印象的である。
竹林の写真は、京都観光ガイドパンフレットなどの定番ではある。
どこかのお寺の境内あたりを写しているのだろうと思っていたが、嵯峨野のこのあたりの光景であるのは知らなかった。実際に目にするまで、気づかなかったことが、地元の関西人としては恥ずかしい。
大方丈
天龍寺 大方丈
大方丈
天龍寺 曹源池と大方丈
竹林の道を数分歩くと、天龍寺の北門。創設者・足利尊氏、初代住職・無窓疎石。禅宗、臨済宗のお寺である。
少しくだり坂になった参道を本堂の方へ向かう。参道の右手(西側)は、小高い山の斜面を縫うようにつづく園遊路。生い茂る紅葉の中を巡る散策路からは、寺院の大きな建物が建ち並ぶ光景が見渡せる。
京都五山の第一位、世界遺産にふさわしいスケールの宏壮な境内である。
小高い山の散策路を北から南へたどり、曹源池のほとりへ出る。池の東が大方丈。数百畳もあろうかと思われる建物の中の座敷では、たくさんの観光客が曹源池庭園を眺めている。
ひなびた山荘の風情をたたえた常寂光寺や大河内山荘などとは、対照的な光景である。
嵐山までさらに歩くつもりではあったが、紅葉巡りに少々疲れてしまい、帰途につくことにした。
■天龍寺ホームページ http://www.tenryuji.com/


注)
写真およびビデオは2011年11月に撮影したものです。

2012年10月24日水曜日

京都の紅葉名所を歩く:嵯峨野・常寂光寺


京都市の西北、嵯峨野・嵐山エリアも紅葉名所として名高い。 
小さなお寺ではあるが、ひなびた風情のある常寂光寺を訪ねた。瀟酒な佇まいのシブイ寺院である。 
■常寂光寺ホームページ http://www.jojakko-ji.or.jp/

常寂光寺は、平安時代に藤原定家の山荘・時雨亭があった地とされる。定家は「新古今和歌集」や「小倉百人一首」の選者としても知られる歌人。 
安土桃山時代の後期。日蓮宗の日真(示す編に真の正字)上人が、隠棲の地として寺を創建した。上人は、侘び、寂び、風雅の道をよく心得た粋人のようである。 
小倉山の山腹に位置し、山の自然と融合した塀のない寺でもある。創建の由来からも、市中山居の風情がただよう。
仁王門から庫裡へ向かう坂道
仁王門から庫裡へ上がる坂道
参道から見上げる鐘楼
参道から見上げる鐘楼

例によって、電車を乗り継いで紅葉巡りにでかけた。
最寄り駅はJR嵯峨嵐山駅。JR京都駅から嵯峨野線の各駅停車で約15分程度。
駅から丸太町通りを西へ。道路幅が狭くなり、住宅街のなかを通る小径を行く。左に竹林、右の畑の向こうに落柿舎がみえる。観光客を乗せた人力車に出合った。 
小径をたどると正面が山門。こじんまりと閑雅な佇まいである。しばらく歩くと仁王門。仁王門から本堂へ向かう参道の石段の左右には、色鮮やかな紅葉が広がる。本堂東の庫裡から仁王門へと上下する坂道の斜面には、緑あざやかな苔が生えている。樹々の紅葉・黄葉と苔の緑との取り合わせが心地よい。

庫裡から仁王門へ降りる坂道
庫裡から仁王門へ降りる坂道
参道坂道の苔
参道坂道の苔

本堂や庫裡、鐘楼を巡る園路にも、色とりどりの樹々の梢。鐘楼の横には大きなイチョウの木。園路入り口の「老爺柿」も趣ゆたかである。 
多宝塔からさらに上へ向かう小径からは、眼下に京都市街を見晴らすことができる。
多宝塔
多宝塔
老爺柿
老爺柿

注) 写真およびビデオは2011年11月に撮影したものです。

2012年10月23日火曜日

京都の紅葉名所を歩く:泉涌寺

京の紅葉名所を、静かにゆったりと鑑賞したいという方におすすめしたいのは、泉涌寺。
皇室にゆかりの深い菩提寺であり「御寺(みてら)」と尊称される。
人混みの中を歩きながらではなく、座敷や廊下に座って、ゆったりと鑑賞できるのがうれしい。
■泉涌寺ホームページ http://www.mitera.org/
泉涌寺 御座所庭園
泉涌寺 御座所庭園
泉涌寺 御座所庭園
泉涌寺 御座所庭園 
御座所庭園
泉涌寺 御座所庭園
御座所庭園
泉涌寺 御座所庭園


御座所に面した、御座所庭園の紅葉が見どころ。
規模は大きくないが、閑雅な趣のある庭園である。赤いモミジの中に混じる黄葉の取り合わせが美しい。御座所は、明治天皇が皇后宮の御里御殿を京都御所から移築したもの。
隆慶一郎の作品に、「花と火の帝」という抜群に面白い伝奇小説がある。主人公の後水尾天皇の菩提がまつられていることも、個人的にはうれしい。
霊明殿の東には歴代天皇の御陵があり、皇室の方々が御陵参詣の際は御座所が休憩場所として現在も使われている。
紅葉見物の人々でかなり混雑する東福寺から、徒歩で15〜20分くらい。日吉ケ丘高校の南から月輪中学校へ抜ける歩行者専用の近道がある。
大門から望む仏殿
泉涌寺 大門から望む仏殿

皇室ゆかりの御寺ということの他に、もうひとつ泉涌寺が他の寺院と異なる大きな特長がある。本堂など、寺院の主な建物は、参道の門から上へ向かう高台に位置しているのが普通。
泉涌寺では、逆に、大門から参道の坂道を下る低い盆地に仏殿・舎利殿・霊明殿などが配置されていることが興味深い。
雲龍院 悟りの窓
雲龍院 悟りの窓
雲龍院 障子越しに望む庭園
雲龍院 障子越しに望む庭園

蛇足ながら、紅葉見物から帰る際には、大門の近くにある雲龍院を訪ねて「悟りの窓」も見てみたい。円形のモダンな意匠の窓から、庭園を眺めることができる。
注)写真は2010年11月撮影。

2012年10月22日月曜日

京都の紅葉名所を歩く:東福寺

JRの電車を使って訪問する場合、京都の紅葉名所の中でも、最も便利な場所にあるのが東福寺。JR京都駅からJR奈良線でひと駅「東福寺」駅下車、徒歩10分程度の便利な場所にある。
鎌倉時代に創建された禅宗・臨済宗の総本山である。平安時代に創設されたお寺が多い京都としては、比較的新しい部類に属する。寺の名前は、奈良の東大寺&興福寺にちなんで名付けられたようである。
臥雲橋からみた通天橋
臥雲橋からみた通天橋

境内はかなり広い。紅葉見物のため、駅から歩いて月下門の南にある臥雲橋へ向かう。雨よけの屋根のある臥雲橋から東を望むと、境内を東西に流れる渓谷・洗玉澗(せんぎょくかん)の見事な紅葉が眼前に広がる。
境内を流れる渓谷・洗玉澗
境内を流れる渓谷・洗玉澗
東福寺の通天橋
臥雲橋からみた通天橋

紅葉の樹々の上に架けられているのが通天橋。渓谷の周囲は庭園になっており、屋根付きの回廊が巡っている。通天橋は庭園巡りの回廊の一部であり、臥雲橋と同様、雨よけの屋根がついている。TV番組「鬼平犯科帳」のタイトル映像の一部にも組み込まれているので、見覚えがある方もいるかも知れない。
庭園を巡る回廊
庭園を巡る回廊
東福寺 庭園を巡る回廊
庭園を巡る回廊

通天橋や回廊から望む紅葉の光景は、見応えがある。満員電車とまではいかないが、かなり込み合った電車にのったような、あるいはお祭りや縁日の露店巡りのような紅葉見物の人混みも印象的である。
*東福寺ホームページ  http://www.tofukuji.jp/index2.html

注)写真は2010年11月撮影。

2012年10月21日日曜日

京都の紅葉名所を歩く:神護寺

秋祭がひと区切り。10月後半からは、紅葉の季節である。
関西の紅葉名所はいろいろあるが、京都は見どころが多いエリア。京都の名所の中でも、早めに色づくのが神護寺である。
京都市の北部、高尾山中腹にある山岳寺院のため、秋の訪れも早い。平安時代に和気清麻呂によって創建された。最澄や空海にゆかりのあるお寺である。
神護寺ホームページ http://www.jingoji.or.jp/

電車・バスを乗り継いで撮影に出かけた。寺の最寄りバス停「山城高雄」まで、JR京都駅からバスで約1時間。ちょっとした小旅行である。 バス停から、参道へつづく急な坂道を降りる。見事な紅葉の間を抜ける小径である。
坂道を降りて清滝川にかかる小さな橋を渡ると、寺へつづく参道。こんどは、急な上りの坂道である。道沿いの茶店の赤い日傘が、紅葉に映える。
参道の茶店
参道の茶店
楼門へ上がる急な石段

参道の途中にある硯石から楼門へつづく急な上り階段の左右は、樹々の梢に覆われたトンネル。うす暗い参道石段の上端に、楼門を囲うように紅葉が鮮やかな黄色に輝いている。
急な坂道の石段をあがって楼門をくぐると、フラットで広々とした境内が目の前に広がる。参道の急な石段の暗さと対照的に、明るく開放的な印象である。
書院、五大堂、毘沙門堂、大師堂などの境内の建物群から一段上がった高台にあるのが、金堂と多宝塔。金堂に上がる幅の広い石段の左右にも、見事な紅葉が広がっている。

バス停から参道へつづく急な坂道
楼門前の紅葉



金堂へ上る石段
金堂前から五大堂・毘沙門堂を望む

金堂や多宝塔に参拝した後、地蔵院に降りてかわらけ投げを体験。清滝川を見下ろす展望広場から、山の急斜面に向けてかわらけ(素焼きの小皿)を投げると厄除になるらしい。神護寺が発祥の地とされている。

注)写真およびビデオは2010年11月に撮影したものです。

2012年10月20日土曜日

特急電車vsチンチン電車、どちらも絵になる撮影テーマ

スマートな流線型の特急電車 

電車の走行風景も、動画ビデオの撮影画題として絵になるもののひとつ。
関西は私鉄のネットワークが充実しているが、なかでも、近畿日本鉄道=近鉄は特急電車の種類が豊富。
 近鉄の特急電車で主なものは、1)アーバンライナー・ネクスト、2)アーバンライナー・プラス、3)伊勢志摩ライナー、4)レギュラータイプ、5)ビスタカー、6)さくらライナーの5種類。
 1)と2)は大阪と名古屋を結ぶ名阪特急。車体のカラーリングも白とグレーの都会的なイメージ。3)は海のリゾート伊勢志摩と大阪・京都・名古屋を結ぶ路線の特急。白と明るい黄色のカラーリング。白と赤のカラーリングの車両も、新たにデビューしている。4)は近鉄各路線の主力特急。6)は、南大阪線・吉野線を走行。名称は、千本桜で名高い吉野山にちなむ。
車両のデザイン的に、いかにも特急電車らしいスマートさが感じられるのは、先頭車両が流線型の1)2)3)6)である。


アーバンライナー・ネクスト

伊勢志摩ライナー
………………………………………………

カラフルに広告で彩られた阪堺線・上町線のチンチン電車 

走行スピードは遅いけれど、同じく絵になるのがチンチン電車。 関西では数少ない運行路線のひとつが、阪堺電気軌道=阪堺電車である。大阪都心の天王寺〜浜寺公園、恵比須町〜浜寺公園、天王寺〜住吉公園を結ぶ3路線がある。
阪堺電車のチンチン電車の面白いところは、車両を1両まるごと広告で彩っている電車が大半であること。広告でカラフルにラッピングされた電車が走行する光景は、ひときわ目を引く。
 
チンチン電車

2012年10月18日木曜日

動画Movieによるバラの花図鑑

YouTubeに公開している動画の中で、気にいっている作品のひとつが動画Movieによるバラの花図鑑。 ビデオ撮影のテーマは、祭やスポーツイベントの場合が多いけれど、少し変わったテーマではある。躍動的な動きのある祭やスポーツは動画の画題として好適であるが、花はビデオ向きとはいえないかも知れない。
動機は、そよ風にゆれる花の光景が印象的だったこと。スチル写真やイラストではなく、ビデオ動画で図鑑にするMovie図鑑にチャレンジしてみた。
YouTubeでの閲覧数はあまり多くないけれど、撮影者本人としては愛着があるMovieのひとつである。
薔薇の花の動画に添えて、そのバラの名前も日本語と英語で表記している。
大阪市・靭公園で撮影したものと、堺市・浜寺公園で撮影したものの2バージョンがある。

バラ図鑑(堺市・浜寺公園)

バラ図鑑(大阪市・靭公園)



2012年10月17日水曜日

Fishという癒し系のガジェットをブログに貼付けました

Bloggerの面白いガジェットを見つけました。金魚か鯉のような色とりどりのサカナが泳いでいる、ちょっとユーモラスでかわいい癒し系のガジェットです。さっそくサイドバーに貼付けてみました。
貼付けてみてわかったのですが、ポインタ→を水の中に入れるとサカナがそこに集まってきます。クリックすると、エサやりができる仕掛けになっています。
サカナを何匹泳がすか、サカナの色をどうするかだけでなく、水の色やエサの色も選べるようになっているのも気が利いています。
HTMLの知識がない素人ですが、写真や動画の貼付け方とかあれこれ試行錯誤しています。
これもまた、ブログの楽しみのひとつかも知れません。
Bloggerでブログをはじめてから、まだ間がないのですが、レイアウトやデザインツールは結構使いやすいと思います。


2012年10月11日木曜日

行基参り:お寺の境内に13台のだんじりが並ぶ八木だんじり祭


だんじり祭といえば、岸和田が代名詞。中でも旧市内のだんじり祭が有名であるが、9月の祭礼のほかに10月の祭礼もあることは、地元以外ではあまり知られていない。9月のだんじり祭は浜手地区がメインであるが、10月のだんじり祭は山手地区を中心に行われる。
10月の岸和田山手だんじり祭の中では、八木地区の行基参りが断然興味深い。
だんじり祭は神社の祭礼であるのは「常識」。しかし、行基参りではお寺に参詣して「宮入」するのがユニークである。
久米田寺の境内にやり回しをして宮入
多宝塔・本堂を背景にして並ぶだんじり

行基は、奈良時代の高僧。当時は一般民衆への布教が禁じられていたが、禁を破って布教活動を行った。貧民救済事業や、農業用の溜池開削や堀溝などの治水事業、架橋などの土木事業などを展開した革命家ともいえる人物。朝廷からはたびたび弾圧されたが、民衆の圧倒的な支持を受けていることが聖武天皇に認められて、東大寺の建立にも寄与した立派な人物である。
八木地区では、大阪府最大の溜め池・久米田池を開発して田畑の灌漑に大きく貢献した。兵庫県伊丹市の昆陽池、大阪府大阪狭山市の狭山池も行基が開削したものである。
行基が創設した寺院・久米田寺が池のほとりにある。周辺の町々のだんじり13台が、その遺徳に感謝してお堂に参詣するのが行基参りである。高台にある久米田寺に向かって、早朝から曳き出しされただんじりが、ふもとの各町から上ってくる。
朝9時、久米田池のほとりから久米田寺へ向かってやり回し。威勢良く宮入が始まる。
はじめのうちは余裕のあった境内の敷地も、次から次へと宮入するだんじりと曳き手たちでどんどん埋まってくる。
曳行用に空けられた狭い進路を、巧みに使って疾走するだんじりの姿は見事。
最後は13台のだんじりが、寺院の敷地内に収まってしまう。多宝塔や本堂など、お寺の建物を背景に幟旗を立てて装った多数のだんじりが勢揃い。
大屋根に乗った大工方や子供たち、だんじりを取り囲む法被姿の町衆たちが談笑する光景は、微笑ましく幸せな時間を満喫できるひとときでもある。


2012年10月10日水曜日

だんじり祭の華、大工方:大屋根に乗らない濱八町


上だんじり(濱八町)の大工方
カチアイ
だんじり曳行は、綱の曳き手だけではなく前梃子、後梃子などさまざまな役割の人々の共同作業である。中でも花形は、大工方。大屋根の上に乗って舞踊る姿は、だんじり祭の華ともいえる。大屋根の後方にある小屋根に乗る大工方は、後梃子に転回の合図を送る重要な役割を担う。
濱八町だんじり祭では、大工方も他の地域とは異なる特長がある。大工方が大屋根には乗らないのである。
これは、おそらくカチアイによる転落防止への配慮かと思う。
濱八町だんじり祭では、他の地域にはないカチアイという独自の祭事がある。通常曳行中は大屋根に乗ってもいいが、カチアイ時には降りることといったルールでは、うっかりミスを防げないという知恵であろう。

下だんじり(岸和田)の大工方
下だんじり(岸和田)の前梃子
ちなみに、だんじりの形状は、上だんじりと下だんじりのふたつに大別される。岸和田は下だんじりの代表格。一方、濱八町は上だんじりである。上だんじりを曳行している町でも、カチアイを行わない濱八町以外では、大工方が大屋根にのるケースもあるそうである。
上だんじりと下だんじりの構造的な違いはいろいろあるが、大きな違いは岸和田型の下だんじりでは、本体と分離した左右2本の前梃子(持ち手が細く先が太い棒)が特長である。やり回しの転回をする際、前梃子を地面に突き刺してブレーキの役割を果たさせる。
上だんじりでは、本体と分離した前梃子ではなく、構造的に本体に組み込まれた横棒が前梃子の役割。下だんじりのように地面に突き刺して操作できるわけではないので、舵取りとしての機能はかなり弱くなる。やり回しは、背後の後梃子が転回の決定的な役割を果たすことになる。
前梃子と後梃子の両方でやり回しを行う下だんじりの方が、急速度の転回をしやすい。このため、上だんじりを所有している町でも下だんじりに買い替えしたり、下だんじりを新調したりするケースが近年は増加している。