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2014年5月16日金曜日

當麻寺、春の大祭。動く立体曼荼羅、練供養会式を拝観。

5月14日。奈良県の西部、二上山のふもとにある當麻寺(当麻寺)春の大祭、聖衆来迎練供養会式を拝観してきた。

聖衆来迎練供養会式(以下、練供養会式)は、当寺で尼僧となった藤原氏のお姫さま中将姫が聖衆二十五菩薩に導かれて極楽往生する様子を再現。年に一度、1000年以上に渡って行われてきた法会である。
當麻寺・中之坊HP
http://www.taimadera.org/
當麻寺・西南院HP
http://taimadera-sainain.or.jp/
ウィキペディア
http://ja.wikipedia.org/wiki/聖衆来迎練供養会式
http://ja.wikipedia.org/wiki/中将姫
1時過ぎに寺を訪れ仁王門をくぐる。白鳳時代7世紀に創建されたと伝えられるが、想像以上に規模の大きいお寺である。
屋台が並ぶ境内を歩くと、板敷きの細長い掛橋が見えてくる。幅1m長さ100m、高さはひとの頭くらい。練供養会式の舞台となる来迎橋である。正面に見える本堂・曼荼羅堂と手前の娑婆堂とを結んでいる。
練供養の法会は4時から。待ち時間に中之坊、西南院、本堂を拝観する。
本堂へ続く掛橋・来迎橋
多くの人でにぎわう境内
4時になり、練供養が始まる。僧侶と着物姿のふたりの少女に導かれて中将姫の御輿が、本堂から娑婆堂へ来迎橋を渡って行く。
西の本堂・曼荼羅堂は極楽、東の娑婆堂は現世を象徴している。姉妹であろうか、少女の表情や仕草が愛らしい。
中将姫の御輿と少女
中将姫の御輿を先導する少女
続いて僧侶が、本堂へ入り読経が始まる。男女の稚児さんたちが親たちに手をひかれて橋を渡り、次いで僧侶が歩む。
可愛い稚児さんたち
僧侶の行列
僧侶に次いで聖衆二十五菩薩が、黄金や白塗りの仮面を装って本堂から娑婆堂へ来迎橋の上を列をなして続く。
天女に導かれる二十五菩薩
黄金の仮面をつけた二十五菩薩
足音とともにシテ役の観音菩薩が現れる。仏の座る蓮華台を両手に捧げ、振り上げ振り下ろしながら、身をよじり、相撲の四股を踏むように左右に足を踏み分けながら歩む。次いで、勢至菩薩が白手袋で合掌しながら左右に身をよじり歩み、最後に、天蓋を掲げた普賢菩薩が来迎橋を娑婆堂へ向かう。
蓮華座を手にした観音菩薩
蓮華座に仏はなく、空座
本堂前でしばらく待っていると、シテ役の観音菩薩が再び姿を現す。両手に掲げた蓮華台には中将姫の小さな仏像が据えられている。
観音菩薩の両手に奉じた蓮華台が、行きは空座。帰りは仏像が据えられている有様が、劇的で印象深い。
観音菩薩を先頭にして極楽へ戻る二十五菩薩
中将姫の仏を据えた蓮華座を奉じる観音菩薩
観音に次いで勢至菩薩、天蓋を掲げた普賢菩薩が現れ、娑婆堂での法会を終えた二十五菩薩が次々と極楽へ向かう。
観音菩薩に続く、勢至菩薩・普賢菩薩
次々と極楽へ上る二十五菩薩
二十五菩薩に次いで、稚児さんたちや僧侶の列が続き、最後に中将姫の御輿が本堂へ戻ってくる。
本堂・極楽堂へ戻る僧侶
行列の最後に本堂へ戻る中将姫の御輿
動く立体曼荼羅ともいえるこの練供養会式。寛弘2年(1005)比叡山の恵心僧都・源信が、「中将姫の昔を慕って聖衆来迎の有様を見んがために、二十五菩薩の装束と仏面を作って、寄進したのにはじまる」と伝えられる。源信は「往生要集」を著し、浄土教の基礎を作った高僧である。
農民をはじめ一般のひとびとに極楽往生を理解してもらうためには、あれやこれやの理屈や言説ではなく、リアルに実感し体験してもらうのが一番だ。最初に行われたとき、よほど衝撃的な効果を達成したのであろう。祭礼は、現代に至るまで1000年以上も継承されてきたのである。
この法会を企画し実現させた源信たちは、かなりの知恵者といえる。
當麻寺のある葛城は、源信の生まれ故郷。母親は知的で信心深い人柄のようで、源信も深く敬愛していた。源信は、母への愛惜の思いを中将姫への敬慕に重ねて供養しようとしていたのではないかとも思われる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/源信_(僧侶)
■追記
練供養会式の参加者、中将姫を迎える観音菩薩を演じる人のインタビューをみつけたので紹介しておきたい。
http://www.dydo-matsuri.com/list/shoujurai/

2014年4月21日月曜日

花は桜、桜は吉野。上千本から奥千本へ、吉野山を歩く。

4月19日、吉野へ花見にでかけた。 朝日新聞の夕刊に、奥千本の桜は週末に満開との写真付き記事。京阪神の桜名所は数多いが、吉野は別格。夫婦で桜見物に遠出した。
吉野駅前から、中千本公園へ向かうバスに乗る。バスを降りて、坂道を奥千本行きのバス乗り場に向かう。
バス待ちの長い列が続き、1時間以上待ち時間がある状況。
上千本から奥千本へ向かう、ハイキングコースを歩くことにする。

<上千本・吉野水分神社、内庭の桜が桧皮葺きの屋根に映えて美しい>
上千本から奥千本へ向かうハイキングコースは、かなり急な坂道が続く。花矢倉付近からは、金峯山寺を眼下に見晴らすことができる。手前や向いの山の桜を眺めながら、夫婦ふたり息を切らせながら坂道を上る。
吉野水分神社の赤い鳥居が見えてくる。社殿は、1605年に豊臣秀頼によって建造されたと伝えられる。子授けの神として信仰されている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/吉野水分神社 
社殿によって囲われた内庭には、桜が満開。古びた神社の桧皮葺き屋根に桜の白やうす紅色の花が映えて美しい。子授け祈願であろうか。神輿が左右に2基据えられた社殿からは、神主さんの祝詞が聞こえてくる。ひなびた風情の渋い神社である。
上千本 吉野水分神社
吉野水分神社
上千本 吉野水分神社 内庭の桜
内庭の桜
<上千本から奥千本へ向かう急な山道、途中の高城山は展望公園>
吉野水分神社でひと休みして、奥千本へ向かう。急な上りの坂道が続く。高城山の頂上は展望公園になっており、屋根付きの休憩所も設けられている。桜は、こちらも満開。
吉野山 高城山展望公園の桜
高城山展望公園へ上る坂道
吉野山 高城山から金峯神社へ向かう小径
高城山から金峯神社へ向かう小径
高城山の展望公園から金峯神社へ向かう道は、下り坂。道幅は約1mと狭いが、石垣や路面が整備されており気持のいい小径である。
小径を降りると車道にでる。車と人の行き交う道をしばらく歩くと、金峯神社の鳥居が見えてくる。 

<奥千本・金峯神社。境内は修験道の聖地、大峯奥駈け道の一部>

金峯神社の鳥居から社殿へ向かう経路は、急な坂道。本殿の周りは見事な桜の大木が茂っており、満開。 社殿の付近からの見晴らしもいい。
奥千本 金峯神社
金峯神社の参道
奥千本 金峯神社境内の桜
金峯神社境内の桜
吉野・大峯と和歌山県南部の熊野三山を結ぶ道は、大峯奥駈け道と呼ばれ、修験道の聖地。金峯神社の境内は大峯奥駈け道の一部である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/金峯神社_(吉野町) 

<道幅1m足らずの狭い急な山の坂道を下って、奥吉野の名所・西行庵へ>
金峯神社の休憩所から、西行庵へ向かう。天気は晴れ。雨は降っていないのに、なぜか路面は水気を含んで滑りやすくなっている。
西行庵の案内標識を見て、杉木立に囲われた道をしばらく歩く。展望が一気に開け、正面に満開の桜が見えてくる。
山の斜面を縫って続く小径は、ふたり行き交うのが無理な道幅。順路に沿って一方通行、花見客はひとりずつ一列に並んで歩いて行く。
前を歩いている子供が「地獄道や〜」と面白がってはしゃいでいる。
60度以上はあろうかと思われる、急な左下がりの山肌に沿って小径が作られている。堅固な手すりが右側に設置されているが、左の下り斜面側は開けっぴろげ。手すりを持ち、転落しないよう注意して歩く
奥千本 西行庵へ降りる坂道と四方正面堂跡へ向かう坂道
西行庵へ向かう急な下り坂(上)と四方正面堂跡へ行く山道(下)を一列になって歩くひとびと
急な坂道を降りて、西行庵のある広場に出る。イメージとして復元された庵には、平安〜鎌倉時代の歌人・西行の小さな像が据えられている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/西行
山肌に沿って咲く桜は、満開。奥吉野ならではの見事な風景である。
奥千本 西行庵
西行庵
奥千本 西行庵付近の桜
西行庵付近の桜
 <四方正面堂跡側の山は桜植樹中。十数年後には見事な桜が楽しめそう>
西行庵から向いの山を望むと、正面の小高い丘に桜の大木が数本茂っている。明治時代の廃仏毀釈で廃寺になった安禅寺の四方正面堂跡である。
奥千本 四方正面堂跡の桜
四方正面堂跡の桜
奥千本 西行庵へ向かう急な下り坂
西行庵への急な下り坂
こちら側の山の斜面は杉木立が伐採されて、現在、桜の苗木を植樹中。十数年もたてば、谷を挟んで右と左に桜が咲き、奥千本の名所になるかも知れない。
西行庵の広場で花見をしながら柿の葉寿司の遅い昼食を楽しんだ後、水場の設けられた苔清水を通って四方正面堂跡へ。高台の桜の下で見晴らしを楽しむ。
帰りは金峯神社の鳥居前からバスで竹林院前へ。下車してさらに中千本公園からバスに乗り継ぎ吉野駅へ向かう。
吉野駅へ到着したのが朝11時前。上千本から奥千本への桜見物を終えて、再び駅へ帰ったのが午後4時前。バスに乗り降り、山道を上り下りしながらハイキングを楽しんだ吉野の花見である。
◎吉野山 上千本&奥千本の写真アルバム
https://picasaweb.google.com/100688261626365550186/_03?authuser=0

■中千本〜奥千本のハイキングルート 案内図
吉野山 中千本から奥千本へのハイキングルート 案内図

■上千本〜奥千本ハイキング行程と時間(参考)

◎吉野駅着10:50→○吉野駅前からバス約20分乗車、中千本公園バス停着11:15→○竹林院前、奥千本行きバス停着11:20
◎竹林院前から上千本・奥千本へ向かうハイキングを開始11:25→○花矢倉着11:40→○水分神社着12:00→○水分神社発12:20→○高城山展望公園着12:30→○金峯神社着12:50→○金峯神社発13:00→○西行庵着13:25→○西行庵発13:40→○四方正面堂跡着13:45→○四方正面堂跡発14:00→○金峯神社着14:15→○奥千本口バス停(金峯神社鳥居前)着14:25※竹林院前行きバスを時間待ち。
◎奥千本口からバス約20分乗車、竹林院前バス停15:10着→○中千本公園バス停15:15着※吉野駅前行きバスを時間待ち。
◎中千本公園からバス約20分乗車、吉野駅前15:50着


2014年1月19日日曜日

新年のちょっといい話。「もうひとつの花園」全国高校ラグビーU-18東西対抗戦の開催趣旨。

新年1月7日、全国高校ラグビー決勝戦を見学にでかけた。花園ラグビー場で行われた、東海大仰星高校vs桐蔭学園の試合である。

開始早々、東海大仰星高校が相手パスをインターセプトしてトライ。以降も、双方めまぐるしい攻防をくりひろげる激戦を制して、地元大阪の東海大仰星高校が優勝した。
キックはあまり多用せずパス&ランを基本にしたつなぐラグビー。両校共に足の速い選手が多く、パスを次々とつないで駆け抜ける。必死にタックルして阻止し攻守が入れ替わる、スピーディな試合展開。決勝戦にふさわしい好試合を観戦できた。
全国高校ラグビー U-18東西対抗戦
全国高校ラグビー U-18東西対抗戦
本題の新年のちょっといい話は、この決勝戦ではなく、決勝戦の前に行われた東西対抗戦である。
ウチに帰ってネットで調べてみたら、東西対抗戦の意外な開催趣旨を知ることができた。
<「もうひとつの花園」その効果と高校ラグビーを取り巻く現状>と題する斉藤健仁さんのレポートによれば、U-18東西対抗戦は、少人数校の高校生ラガーメンに花園ラグビー場で試合をする機会を与えようという趣旨で開催される。
東西対抗戦の選手は、全国高校ラグビーに出場した高校チームの生徒から選抜されたとばかり思っていたが、勘違いである。
事実は逆で、単独チームとしては花園の全国高校ラグビーに出場機会のなかった高校生から選抜した選手たちであった。
花園ラグビー場は、ラグビーの「聖地」とされる場所。高校野球で言えば、甲子園球場に相当する存在である。
チーム人数が足りず単独チームとしては公式戦に出場できない高校生ラガーにとって、「花園」でプレーできることがどんなにうれしく励みになることか。
One for All, All for Oneというラグビーの基本精神が示された、ちょっとウレシイいい話である。
「もうひとつの花園」U-18東西対抗戦。この試合を企画立案し、実現させたラガーと運営を支えるひとびとに拍手。そして何よりも、花園でプレーできる夢を励みにして黙々と練習に取り組む高校生ラガーたちに、こころからの声援を贈りたい。

■「もうひとつの花園」その効果と高校ラグビーを取り巻く現状(斉藤健仁)
https://www.jsports.co.jp/press/article/N2014010900435203.html
■全国高校ラグビー 東西対抗
http://mainichi.jp/search/index.html?q=全国高校ラグビー%20東西対抗%20&r=reflink

2013年11月6日水曜日

岩船寺と浄瑠璃寺。当尾・石仏の道を歩き、三重の塔が美しい京の古寺を巡る。

11月初め、京都府南部の古寺に参拝してきた。奈良時代729年に、聖武天皇が僧・行基に命じて創建された岩船寺。平安時代1047年に創建された浄瑠璃寺。ふたつのお寺、いずれも三重の塔が見どころのひとつである。
岩船寺(重文)は瓦葺き屋根、浄瑠璃寺(国宝)は桧皮葺き屋根の違いはあるが、樹蔭にたたずむ姿はどちらも気品にあふれて美しい。

■岩船寺
僧・行基ゆかりのお寺である。この僧侶は、国家守護の仏教から民衆救済の仏教へ変革させた「革命家」である。たびたび弾圧を受けたが、聖武天皇に認められ、東大寺・大仏建立の実質的な責任者を命じられた。布教活動だけでなく、水田の灌漑に欠かせない溜め池開削や架橋などの土木工事、布施屋建設など数々の社会事業を成し遂げた人物である。大阪府下最大級の溜め池・久米田池を開削したのもこのお坊さん。岸和田八木地区のだんじり祭では、久米田寺へ行基参りを行い、現在も遺徳に感謝している。
お寺の規模はあまり大きくないが、往時は広大な規模のお寺であったようである。ひなびた風情の山門をくぐると、正面奥に三重の塔が見える。本堂で行基作と伝承される阿弥陀如来座像にお参りした後、三重の塔へ向かう。コウロギであろうか虫の鳴き声を聞きながら塔の周辺を巡る。鳥のサエズリも聞こえる。のどかな風情のあるお寺である。紅葉は、まだ染め始め。樹々はまだ緑が多かったが、赤い柱と梁・白壁が背景の緑に映えて鮮やかである。
三重塔(遠景)
三重塔(近景)
■当尾の里・石仏の道
岩船寺から浄瑠璃寺へは、当尾の里・石仏の道をたどった。約1.5km、ゆるやかな坂道を下る30分程度のハイキングコースである。
当尾(とおの)地区は寺院や修行場が散在し、多くの磨崖仏が造立されたエリアである。石仏は行き交う人々の道しるべでもあった。
木蔭や田畑の間を抜ける道を、ミロクの辻・弥勒仏、わらい仏、眠り仏、カラスの壷二尊石仏などを眺めながら歩く。
露店の狐茄子
カラスの壷 阿弥陀仏
カラスの壷近くの露店(無人販売)で、生け花の素材としても使われるフォックスフェイス(狐茄子)を飾っていた。お代はワンコイン100円なり。手荷物としてはかさばるが、珍しいので買ってしまった。バスで乗り合わせたお婆ちゃんと小学生の孫娘のふたり連れを、露店の近くで見かけた。石に腰掛け、お弁当をいっしょに頬張っている姿が微笑ましい。

■浄瑠璃寺
東に薬師仏をまつる三重塔、中央に宝池、西に本堂・九体阿弥陀堂がある。本堂には、九体の阿弥陀仏(国宝)が安置されている。一体一体、目の表情が異なるようである。本堂には吉祥天女像も安置されている。威厳にみちた阿弥陀仏の並ぶ中で、ふっくらと丸みをおびた顔や肢体がこころを和ませてくれる。
こちらも境内の樹々は、まだ紅葉の初期。参拝客もまだそう多くなく、ゆっくりと本堂や三重塔を見学。岩船寺と同じく、虫の鳴き声や鳥のサエズリを聞きながら池の周囲を巡る。秋の休日、のんびりした時間を楽しむことができた。
三重塔(遠景)
三重塔(近景)
<交通アクセス>
お寺の所在地は京都府であるが、電車利用の場合はJR奈良駅または近鉄奈良駅から浄瑠璃寺行きバス利用が便利。浄瑠璃寺前バス停から、岩船寺行きの木津川市コミュニティバスに乗り継いで岩船寺へ。
岩船寺から浄瑠璃寺へは、石仏の道を徒歩でハイキング。
浄瑠璃寺からは、JRまたは近鉄奈良駅へバスのルートをおすすめ。
JR奈良駅のバスターミナルは東と西の2カ所ある。市内の主要な観光地行きは東であるが、浄瑠璃寺行きは西の5番乗り場なので、要注意。本数が少ないので、参拝にでかける際は奈良交通バスの時刻表を確認すること。

2013年10月29日火曜日

大阪マラソン2013、車いすランナーの激走に拍手

大阪マラソン2013を見学してきた。約3万人のランナーが参加する大規模なマラソンである。
目当ては、昨年、一昨年と見学して感心した車いすによるフルマラソンの撮影である。

42.195kmを走りきるだけでも大変なのに、腕と手と上半身を駆動力にして車いすで走行する苦労は計り知れない。上り坂などはかなり辛いはずだ。
今年の車いすトップ走者・花岡伸和さんのタイムは1時間35分28秒。マラソン男子優勝者の記録2時間12分06秒よりも30分近く早い。
主催者の発表によれば、フルマラソンの完走率95.1%。参加した走者の奮闘も素晴らしいが、車いすランナーの激走にもアタマが下がる。

大阪府庁前のスタートから撮影開始。大阪城のお堀にかけられた橋を上がり下がりしながら、レース前に走者がウオーミングアップしている光景が絵になる。
地下鉄で移動してレース途中の様子を御堂筋本町界隈で押さえ、ゴールの南港インテックスへ急ぐ。昨年、一昨年と車いすトップのゴールイン光景を撮り損なっていたが、今年はうまく間に合った。
ゴールへ向かう上り坂を、チカラをこめて上ってくる車いすランナーたちの姿が印象的である。
車いす1位 花岡伸和選手
男子1位 ジャクソン・リモ選手
マラソン男子・女子共に優勝はケニアの選手。男子1位ジャクソン・リモは、フルマラソン初体験で優勝。40kmあまりを走ってきたとは思えないほどのスピードで、ゴールへ向かって駆け抜けて行った。走行フォームも美しい。
女子の部、2位の吉住選手は小柄な色白の選手である。素晴らしいスピードで坂を駆け上がる姿が清々しく爽やかである。

2013年10月7日月曜日

EOS 7Dで鳳だんじり祭の撮影にトライ、動画モードも実戦初体験

10月4・5・6日は、堺市各地でだんじり祭が開催された。4日・5日は、鳳だんじり祭を見学。CANONの一眼レフEOS 7Dで撮影にトライした。従来のKiss 4Xと比較しながら、現場で本格的に使用してみた。
CANON  一眼レフ EOS 7D 連写撮影のサンプル
EOS 7Dの連写性能 撮影サンプル


■連写と連続撮影枚数:素晴らしい高性能
静止画は記録画質、Lファインに設定。連写性能はカタログ公称の通り、秒8コマを難なくこなす。
2〜3枚撮影すると画像処理のため止まってしまう、Kiss 4Xとは雲泥の差である。
連続撮影枚数も、シャッターを押し続けていれば数十枚は楽々いける。
走り抜けるだんじりの大屋根で飛跳ねる大工方の姿も、スムースにピントを合わせながら追尾できる。
だんじりを引っ張る前綱の子供たちや青年団の躍動感あふれる姿も、無理なく撮影できてなかなかシブイ一眼レフである。


■動画モードによる撮影:ピンぼけシーンもあり、ちょっと問題
だんじり撮影は、観客も多く危険なので基本的に三脚は使えない。動画も手持ち撮影せざるを得ない。
初日4日鳳&八田荘地区交流曳行と、商店街を駆け抜ける5日午後の熊野街道曳行を7Dの動画モードEOSムービーで撮影してみた。
四つ角のやり回しが見せ場の交流曳行、直線コースを猛スピードで疾走する熊野街道曳行。いずれも、意外と手ぶれせずに撮影できたのがウレシイ。カメラのサイズが大きく重いことが、手ぶれ防止のためには却って効果的なのかも知れない。
問題は、ピンぼけになってしまうシーンがあること。半押してピントをあわせたつもりでも、一連のコマが合焦しないまま動画になってしまう。オートフォーカスが上手く機能する場合も多いが、機能しないケースも結構多い。この点では、Kiss 4Xの動画モードの方が優れている感じである。
よく似た名称の、一眼レフEOS 70D。7の後に0がつく最近販売されたこの機種は、7Dのこうした欠点が大幅に改善されているようである。
5日午前、鳳大社へ10台のだんじりが宮入りと宮出しをするシーンはSONYのビデオカメラCX720Vを使用した。こちらは動画専用なので、オートフォーカスに関しては何の問題もない。
一眼レフで動画を撮影しようとすること自体、やはり無理があるともいえる。しかし、一眼レフとビデオカメラと2台のカメラを携行するのは煩わしい。
スチル写真をメインにするが、動画向きのシーンがあったときに撮影する用途としては必要充分な機能を備えていると思う。

2013年10月1日火曜日

CANONのカメラ、EOS D7の高速連写性能にびっくり。

高速連写性能が優れていると評判の一眼レフカメラ、CANONのEOS D7を手に入れて試写してみた。スピーディな高速連写性能にびっくり。使うカメラによって連写性能がこんなに違うか、と実感した。
CANONの一眼レフカメラEOS D7の連続撮影 撮影見本
EOS D7の高速連写サンプル

いままで愛用していた一眼レフカメラは、EOS Kiss X4。まずまず満足して使っていた。
贅沢をいってはキリがないけれど、素人の私が趣味としてスナップ写真や動画を撮影する上では、かなり出来のいいカメラである。
不満の第一は、動きのあるシーンを撮影する際の高速連写が上手く行かないこと。
だんじりのやり回しを撮影しようとすると、2〜3枚連写したところで画像処理のために止まってしまう。
仕様では連続撮影速度最高約3.7コマ/秒 連続撮影可能枚数JPEGラージ/ファイン:約34枚 RAW:約6枚となっている。
記録画質RAWで使っているせいかもしれないが、連続撮影機能はほとんど使い物にならない。
大工方が跳躍しているシーンを撮影しても2〜3枚連写して止まってしまうので、次にシャッターが切れるようになったときにはだんじりが走り去ってしまっている。トホホッである。よほど上手いタイミングで撮影しないと、狙った絵が撮れない。
EOS D7の場合は、連続撮影速度最高約8コマ/秒 連続撮影可能枚数JPEGラージ/ファイン:約110~130枚 RAW:約23~25枚の仕様である。
浜寺公園でEOS D7の連写性能を試してみた。RAWとJPEGラージ/ファインで高速連写性能を試す。仕様表記の最高8コマ/秒をクリア。タタタタタタタ〜といった感じで気持よく連写ができる。RAWの場合、連続撮影可能枚数の制約があるからか、秒8枚のときと6〜7枚のときがある。
JPEGラージ/ファインであれば連続撮影枚数を気にせず、高速連写をラクラクこなせそう。RAWの場合は連続撮影枚数は少なくなるだろうが、秒8コマの高速連写が十分可能だと思う。
EOS D7とよく似た品番、7の後に0が付くEOS D70がCANONから最近発売された。新しい機種なので動画性能などはこちらの方が優れているようだが、スチルカメラとしての基本性能はD7が上という口コミが多い。D70とD7と、どちらにするか迷ったけれど、結論として7にした。D7は改良版のMark2が来春くらいにでるという口コミもあるが、価格が高くて手が出ない可能性が高い。
販売開始が4年ほど前の型落的な機種とはいえ、中古で買うリスクを考えれば新品の方が安心と判断した。
Kissで使っていたEFS18-135mmは望遠の倍率が高くて便利であったが、ピントが若干あまい感じ。D7のレンズEFS15-85はピントがあわせやすく、性能が良さそうである。
EOS D7はD70やKissよりひとまわり大きく、重さもズッシリとしているのが難である。逆光撮影時の補正方法がよくわからないけれど、だんじり祭やスポーツ撮影においてはかなり期待が持てる。

2013年9月18日水曜日

岸和田だんじり祭:雨のだんじり曳行とラグビー

秋は台風シーズン。9月中旬に行われるだんじり祭も、雨にみまわれることが多い。好天気であっても、にわか雨が降ることもある。
昨年は宵宮・夜の灯入れ曳行が雨天に加え落雷のため中止になったけれど、日中の曳行は基本的に雨天決行である。
今年2013年の本宮も宮入りの途中から、かなりキツい雨となった。

傘をさしての見物は禁止のため、屋根付きの通路がある南海電車岸和田駅前に移動して曳行を見学。1時前から宮一番・宮本のやり回しで午後曳行が始まった。
曳行開始を少し過ぎた頃から、かなりキツい雨となり曳き手たちもずぶぬれ。足場が悪いし、だんじりもかなり重量をまして曳行は苦痛のはず。しかし、曳き手は威勢の良い掛声と共に綱を引き、大工方は大屋根の上を好天の日と変わりなく飛跳ねている。
岸和田だんじり祭
ずぶぬれの少女
岸和田だんじり祭
少年団の子供たち
曳き手の主役は青年団であり、彼らが頑張っているのは理解できる。しかし、感心するのは子供たちの奮闘である。中学生はもちろん、小学校低学年の子供たちも必死になって綱を引いている。苦しい表情になっている子もいるけれど、凛々しい表情の子も多く、時には笑顔を浮かべたりしている子もいる。
子供の付き添いとして曳き手の横を並行して走ったり、だんじりの後尾を駈けるお母さんたちの頑張りも素晴らしい。
綱先を曳く少年団
やり回しのキーマン前梃子
病気になったら困るから、子供たちに雨風の中を綱を曳かせたくないというのはごくふつうの親心であろう。祭の世話役や若頭たちも、本音の部分では子供たちに曳かせたくないかも知れない。
しかし、子供たちが雨風の中を曳くのをあえて認めているのはなぜか。
子供とはいえ、町が一体となって催行する祭を支えるかけがえのない一員として認めている証だからではないかと思う。
イギリス生まれ、紳士のスポーツとされるラグビーやサッカーも雨天決行である。試合をするのは紳士の約束。天候が悪いから言って、約束の日時に試合しないような人間は紳士たるものの資格がない。
だんじり祭も同じく、複数の町が一体となって行う吉例の祭事。ひとつの町だけが、イチ抜けたでは済まされない行事である。
ラグビーには、だんじり祭と共通すると思われるいくつかの名言がある。
以下、「ラグビーに関する豆知識」からの引用である。
例えば「One for All , All for One。ひとりは皆んなのため、皆んなはひとりのために」。自己犠牲の精神は、ラグビーの基本であり、だんじりもまた同じ。
あるいはまた、元フランス代表キャプテンのジャン・ピエール・リーブ氏の有名な言葉「ラグビーは子供をいち早く大人にし、大人にいつまでも子供の魂を抱かせる」。
明治大学・神戸製鋼で活躍した大西一平氏の次のような言葉も忘れがたい。
「ラグビーって痛いしきついし危険だし、人間性がよく見えるんですよ。なぜならば、ボールを持った選手は敵陣に突っ込んでいかなきゃいけないし、相手が突っ込んでくればタックルに入らなければならない。けれども他の選手は0.0何秒わざと遅れることで痛い思い・怖い思いをしないですむ。恐怖感が増せば増すほど、勇気とチームメイトへの信頼感が要求されるわけで、人間同士の深いつながりが確認できるんです」と。
雨の日のだんじり曳行も、また同じことが言えるのではないか。
■ラグビーに関する豆知識

最後に、観客のマナーについてひとこと。傘を差して見学しているひとがおり、警備のマイクで警告されても平気で差し続けている。傘を差していないひとを濡らしたり、混雑した人混みの中では他人を傷つけたりする危険がある。視界をさえぎられ、前を見渡せないのも困る。厚顔無恥というほかはない。

岸和田だんじり祭・宮入り 城を背にしてお堀端を曳行するだんじりの美しさ

9月15日、本宮。台風の影響で天気予報は雨であったが、岸和田だんじり祭の宮入りを見学に出かけた。
家を出るときには雨がふっていたが、蛸地蔵駅に着いた頃には雨が止み曇天に変わっていた。

岸城神社の前を通って、岸和田市役所へ向かう。目当ては、もちろん、こなから坂のやり回し。市役所からお城へ向かう坂を、だんじりが猛スピードでやり回しをして駆け上がる光景は何度見ても迫力がある。
宮入りのもうひとつの楽しみは、お堀端をゆっくりと曳行するだんじりの光景。お城を背にして、手前にだんじりのある姿。逆に、お城を手前にしてお堀の彼方にだんじりを望む姿。いずれも、風情豊かで美しい。
お城を背にしてゆっくりと曳かれるだんじり
宮入りを待って停止中のだんじり
荒々しく粗野なイメージを抱いて敬遠しておられる方には、岸和田城のお堀端をめぐるだんじりの絵になる姿を、ぜひ一度見てほしい。
宮入りしてお祓いを受けるために、3基くらいのだんじりが順番待ちをしてお堀端で停止する。
岸和田だんじり祭
子供が大屋根に乗っているだんじり
岸和田だんじり祭
お堀端で待機中のだんじり
待機中は、小さな子供たちが、時には主役となる。大工方が乗る大屋根に乗せてもらったり、だんじりの中に座りお祭り囃子を演奏したり、楽しい時間を過ごすことができる。小学1〜2年生くらいの子供たちが笛・太鼓・鉦を見事にあやつり、生き生きと祭り囃子を演奏している光景は見ている私たちも幸せな気分にさせてくれる。
岸城神社にお参りした曳き手の子供たち
神官からお祓いを受けるだんじり
お堀端でだんじりを眺めているうちに、雨が降り出してしまった。雨宿りをかねて、だんじり宮入りの光景を見物に岸城神社へ向かう。だんじりがお祓いを受けたり、町の役員たちが御清めを受けたりする場面も拝観できた。
勇壮なやり回しが脚光を浴びがちであるが、だんじりが岸和田城のお堀端を曳行するありさまもまた、見応えがある。やり回しの躍動感に対して、こちらは和やかな静謐感。城下町ならではの歴史や伝統を感じさせる光景である。古い町家や寺院がが残る紀州街道のまちなみ保全地区を曳行する様子も情緒がある。

2013年9月17日火曜日

岸和田だんじり祭・宵宮 早朝の曳き出しをカンカン場で見学

9月14日宵宮。岸和田だんじり祭は、早朝6時からの曳き出しで始まる。
南海電車岸和田駅前では、宮1番の宮本が先頭を切ってやり回しを行う。
湾岸エリアの見どころとなるカンカン場では、大北町が一番手としてやり回しを行うのが恒例である。

大北町・中北町・大手町・紙屋町・中之浜町・中町・大工町の浜七町は、大阪湾岸部に位置する。小学校校区の全町でだんじりを持っており、岸和田の中でも、とりわけだんじり熱の高いエリアらしい。
一度、カンカン場で宵宮の曳き出しを見てみたいと思い、早起きして出かけた。
昨年も始発電車で出かけたが、5時45分頃に小門・貝源のあたりで大北町のだんじりに出逢ってしまった。
そこで今年は別の交通手段を利用して、4時半頃にカンカン場へ到着。夜明け前で、まだ薄暗い。しかし、観客がすでにたくさん集まってきている。
5時半頃からは、有料観覧席も続々と人が座席に着く。ゴルフ場前のS席。他の時間帯は4,000円であるが、宵宮の早朝6時〜7時半は6,000円。
最終に近いやり回しが見物できる本宮の午後3時半〜5時の7,000円に次いで料金は2番目に高い。観覧席の料金設定にも、観客が「通」であることが伺える。
ゴルフ場前の有料観覧席
先頭を切ってやり回しを行う大北町
定刻6時前、5時50分頃に大北町だんじりが登場。交差点の手前に到着後、2〜3分後には早々と笛の合図と共にやり回しが始まった。その後、各町のだんじりが次から次へとやり回し。だんじりは定刻6時の30分前から、遅くとも10分前には各町のだんじり置き場を出発するようである。
本番の緊張もあってか、ぎこちない動きをしたり、電柱にぶつかりかけたりするだんじりもある。昨年転倒してしまった紙屋町は、今年もだんじりが少し傾き揺らいでしまったが、まずは無事にやり回しできてよかった。
撮影のために結構いい場所を確保できたはずだったが、やり回し開始前に立ち入り禁止場所であることが判明。別の場所に移動したりするドジな失敗はあったが、祭の始まりはやはりエキサイティング。早起きした甲斐があった。


2013年9月9日月曜日

岸和田だんじり祭 試験曳き、南町の見事なスライディング

9月・10月は、だんじり祭の季節である。その代表格ともいえる岸和田旧市エリアの試験曳きを見学してきた。

かなりの人出ではあるが、本番より観客はやや少なめ。ビデオ撮影には好条件である。 
岸和田旧市エリアでは22基のだんじりが曳行する。うち1基、南町だけが行う独自のやり回し手法がある。
南町のスライディング
南町のスライディング

やりまわしの際、だんじりに最も近い曳き綱の部分=綱元を担当する数人が地面に体を倒しながらだんじりを操作する。地元のひとはスライディングと名付けていた。野球の滑り込みのような動作である。この光景をカメラにおさめたいと考えて、南町のだんじり小屋に近い蛸地蔵交差点へ向かう。
岸和田駅を降り、風情のある歴史的町並みが残る紀州街道を通り、交差点で曳行開始を待つ。 

曳行開始にはまだ早いはずだが、本町だんじりが交差点でやり回し。少し先で止まり、元のだんじり小屋の方に引返していった。準備運動というか、試験曳き前の試験曳きのようである。1年間、待ちに待った祭が始まる。待ちかねて、はやる気持が微笑ましい。 
定刻近く、南町だんじりが登場。紀州街道から疎開道へ向かう蛸地蔵交差点をやり回し。見事なスライディングをビデオ撮影できた。 
ビデオから切り出した写真をみると、綱元の6人が地面に体を倒しスライディングするようである。だんじりが、すぐ後ろを走ってくる。かなり危険ではあるが、粋でシブイ男気を感じさせる行為である。 
南町に続いて、本町。さらに堺町のだんじりがやり回しするのを見て、カンカン場へ向かう。 
カンカン場では、運良く紙屋町のやり回しを見学できた。昨年、カンカン場で転倒。修理を終えただんじりの初陣である。関係者の厚い思いが偲ばれる。 
見事にやり回しを終えた後、世話役であろうか、年配の男性が微笑みを浮かべている光景が印象深い。 
カンカン場や貝源・小門は、宵宮・本宮ではいつも大混雑。遠くの離れた位置からしか見学できない場所であるが、かなり近い位置から撮影できてラッキーであった。試験曳きならではのメリットである。

2013年8月18日日曜日

なら燈花会 手持ちで夜景がキレイに撮れるSONYのビデオカメラHDR-CX720V


なら燈花会を見学してきた。8月5日〜14日に奈良公園一帯で開催されるライトアップイベント。1999年からはじまった夏の風物詩である。

夜の撮影なので三脚持参ででかけたが、残念ながら三脚使用は禁止。手持ちで撮影するほかない。
持参したカメラはCANONのEOS Kiss X4と、SONYのHDR-CX720V。ロープをつないでいる杭やベンチ等の支えがある場所ではそこにカメラをおいて撮影したが、基本的には手持ち撮影。
EOS Kiss X4では静止画、HDR-CX720Vでは動画を撮影した。
EOSの静止画は手ぶれ防止のため1/90秒で撮影したが、残念ながら露出不足が否めない。
HDR-CX720Vの動画はオート撮影。こちらの方は、手持ち撮影の場合でも結構キレイに撮影できている。
レンズはEOSがEF-S18-135でF値3.5〜5.6。CX720がCarl Zeiss Vario SonnarT*でF値1.8〜3.4。ビデオカメラのレンズの方がかなり明るいからか、静止画と動画との撮影条件の違いなのか。理由はよくわからない。
SONYのビデオカメラHDR-CX720Vは、三脚を使わない手持ちでも夜間撮影に対応可能。結構キレイに撮影できると実感できた。
EOSの方は、次の機会に再チャレンジ。ISO感度を1000以上に上げて撮影してみて、どんな結果がでるか試してみようと思う。
電飾イルミネーションで彩られる神戸「ルミナリエ」や大阪「光のルネッサンス」のような華やかさはないけれど、ロウソクのほのかな灯火は古都・奈良にふさわしく趣ゆたかである。京都大文字ほど知名度は高くないけれど、灯火を楽しむ観客の多さをみると一般的にもかなり知られてきているようだ。
燈花とは、灯心の先にできる花の形。お盆前の季節、鎮魂招福を祈願するにふさわしい催しである。
2万灯を越えるロウソクに1本1本火を灯して行く作業をはじめ、イベント運営がボランティアの手でなされていることも素晴らしい。
■なら燈花会
興福寺、猿沢池と五十二段、浮見堂、浅茅ケ原の順に見て回った。
興福寺、五重塔と東金堂の前では「債」という文字のかたちに行灯が灯された。なぜ、この文字なのか、ちょっと気になる。

2013年8月17日土曜日

尼崎だんじり祭、ちょっと過激な暴れ太鼓とだんじり同士の山合わせ

暑い夏の盛り、8月1日・2日、貴布禰神社の夏季大祭・尼崎だんじり祭を見学してきた。祭の見どころは、暴れ太鼓と山合わせ。かなり荒々しいけれど、神事らしい趣にあふれた祭礼である。

初日1日の宵宮では、8台のだんじりを先導する形で辰巳太鼓が一番に宮入する。
辰巳太鼓は、白装束に赤い烏帽子頭巾の役打(太鼓の叩き手)4人を乗せた、だんじり型の地車である。宮入をして拝殿でお祓いを受けた後、役打が烏帽子を脱ぎ捨てると、太鼓屋台は暴れ太鼓に変身する。担ぎ手が太鼓台を前後に大きく傾けた後、右へ左へ繰り返し横転させ、地面に叩き付ける。
太鼓台の役打4人とふたりの介添え役はもちろん、担ぎ手たちも大ケガをしかねない。かなり危険でスリリングな祭事である。
神輿を壊してしまう暴れ神輿とか神輿まくりとかの祭事を行う例があるが、尼崎だんじり祭では太鼓台が暴れ太鼓になる。
暴れ太鼓の神事に引き続き、8台のだんじりが宮入。貴布禰神社のだんじりは、綱で引っ張る岸和田型とは異なり、神輿のように縦横に組み合わせた棒で担ぐスタイルである。
宮入では、担ぎ棒を斜めにして先を数mの高さに掲げ、だんじり後部を起点にしてグルリと回転させる祭事が行われる。

2日目、本宮の見どころはだんじり同士の山合わせ。向き合った2基のだんじりが担ぎ棒を前部を斜めに大きく上げて、相手のだんじりの担ぎ棒の上に乗せることを競い合う祭事である。2基の対戦が16回行われ、それぞれのだんじり応援団の声援が熱い。
■貴布禰太鼓地車保存会
阪神尼崎駅から貴布禰神社へ向かう道筋にある長いアーケードの商店街(神田中通り・三和本通り)のにぎわいも印象深い。
シャッター通りと揶揄されるように、さびれてしまった商店街は数多いが、道筋の商店街では閉店しているお店がほとんど見当たらない。
尼崎は工業都市のイメージが強いが、江戸時代は阪神間で唯一の城下町であった。城下町の歴史的遺産・寺町の閑静な風情も味わい深い。

2013年7月21日日曜日

祗園祭の山鉾巡行と神輿渡御神幸祭、静と動のふたつの祭

7月17日、祗園祭を見るために早起きして京都へでかけた。初めて見学した一昨年は日曜日だったので、満員電車のような人、人、人。文字通り、足の踏み場もないほどの大混雑であった。昨年と今年は平日のため、一昨年ほどではないが圧倒的な人出であるのに変わりはない。


稚児さんが長刀鉾に乗り、四条烏丸から出発する光景から撮影開始。しめ縄切り、交差点で山鉾を方向転換させる辻回し、新町御池で稚児さんが鉾から降りる場面などを撮影。神の使いとされる稚児さんは、社参の儀以降は地面に足をふれないなど、さまざまな決まり事を守りながら祭事に臨む大役である。鉾に乗込む場面や、しめ縄切りで太刀が綱を見事に断ち切った瞬間、鉾から降りるシーンでは観衆からどよめきと拍手喝采が起きる。


正午過ぎに山鉾巡行が終わったので、神輿渡御の神幸祭が行われる八坂神社へ向かう。
神幸祭は、八坂神社から市内中心部・四条寺町にある御旅所へ神輿が曳行する祭事である。24日には、神輿が御旅所から神社へ還る還幸祭が行われる。神輿は中御座、東御座、西御座の3基あり、東御座では子供神輿も同時に曳行される。
神幸祭の神事は4時頃、綾戸國中神社の久世駒形稚児が騎馬にまたがり南楼門から入ってきて始まった。
綾戸國中神社HPによれば、祗園祭は当社と八坂神社の祭礼である。
ふたつの神社の祭神はいずれも素盞嗚尊=スサノオノミコト。ご神体であるミコトの愛馬の駒形を胸に飾った稚児は神の化身とみなされるので、騎馬にまたがり神社の境内へ入ることができる。
「駒形稚児の到着なくば、御神輿は八坂神社から一歩も動かすことならぬ」と記されている。
山鉾巡行と同様に、神輿渡御でも稚児さんが重要な役割を果たしている。
■綾戸國中神社のHP
古代史の騎馬民族説などが想起されて、興味ぶかい。綾戸國中神社は京都市南区にある神社である。
祗園祭 神輿渡御 神幸祭 駒形稚児
駒形稚児
祗園祭 神輿渡御 神幸祭 中御座神輿
中御座神輿
駒形稚児の騎馬に先導されて中御座(祭神・スサノオノミコト)の神輿が南楼門を出てくる。
神の装束や神宝、駒形稚児、神官などの行列につづいて、中御座、子供神輿、東御座、西御座の神輿が西楼門へ向かう坂道を練り歩く。西楼門の石段下では神職さんによるお祓い。三基の神輿が高々と上に差し上げられ、四条寺町の御旅所へ練り歩く。夕暮れから夜へ向かう時間帯、楼門の赤い柱と黄金色の神輿の彩りが色鮮やかである。
午前中の優美な山鉾巡行とは対照的に、祭らしい熱気と躍動感にあふれた神輿渡御。御旅所へ向かう西御座神輿の後ろに続いて、四条京阪の駅へ向かう帰路についた。

最後に、祗園祭に関する素朴な疑問にもふれておきたい。祭事のメインのはずの神輿渡御より、山鉾巡行の方が圧倒的に知名度が高いのは何故だろうか。
大きな理由のひとつは、高さ約25m重さ10トン近い巨大な鉾や趣向をこらした山が、30数基も連なって巡行するビジュアルインパクトの強さ。動く美術館と評される山鉾が巡行する雅やかな光景は、ひときわ印象的である。長刀や三日月など鉾の頂上にある鉾頭も、シンボリックで美しい。
歴史的な背景も考えておきたい。山鉾巡行は、当初からあった神輿渡御を中心とする祗園会の神事に追加して、室町時代に新たに興された行事であった。祭事に付加するかたちで、京の町衆が立ち上げ、数百年に渡って継承してきた祭事である。
自由で独立心旺盛な町衆にとって、寺社仏閣とは自立した「我らの祭事」と意識されていたはずである。それはたとえば、天文二年(1533)延暦寺によって祗園会の神輿渡御(神幸祭)が中止になったとき、「神事これなくとも山鉾渡したし」と下京六十六町の町衆たちが、山鉾の巡行だけは行いたい、と訴え出たことからも推察できる。
鎌倉末期から室町前期、祗園会は神輿の渡御がたびたび中止や延期になったようである。神輿の渡御が行われていない場合=すなわち神事がない場合でも、山鉾の巡行のみが行われた場合がかなりあるようだ。
■歴史学者:五島邦治さんのHP→ 祇園会「山鉾風流」の成立 参照

2013年6月18日火曜日

仕事人「さだまさし」のステージ、NHKのテレビ番組「さださん、あのねin大船渡」

歌手「さだまさし」の素晴らしいステージをNHKのテレビ番組(BS1で6月16日放映)を録画でみた。 
番組タイトルは「さださん、あのね:公開復興サポート 明日へin大船渡」。
東北大震災に関連した優れたドキュメントを、NHKは数多く放映しているが、「さだまさし」のこの番組もその1本である。 
番組は、最初、軽やかなのりで始まる。岩手県大船渡の会場へ集まった観衆から寄せられた、「さだまさし」へのメッセージを軸にしてステージは展開する。
観衆からのメッセージ
地元PRキャラ「おおふなドン」

例えば、三陸地方を舞台にした朝ドラ「あまちゃん」で有名になった、感嘆符「ジェ」。これと同様に、よく使われるの感嘆符が「バー」であるらしい。
大船渡エリアでの方言やさんまラーメンの話題などに次いで、頭がツバキになっているご当地PRキャラ「おおふなドン」も紹介される。 
震災がらみのメッセージもいくつか紹介された。 
例えば、今年の震災記念日3月11日のエピソード。追悼の意味で当日はおやつを止めにしようとしたところ、6才の孫娘がメロンパンを食べたいという。
幼児には理解できないかと思い買ったパンを、孫娘がちぎり分けて祖母に手渡し「津波でなくなった人に届くよう、仏様にたのんでちょうだい」と依頼したそうである。健気で微笑ましく、しかしまた、泣かせるエピソードでもある。
「奇跡」を歌う「さだまさし」
「奇跡」が愛唱歌だったファンの遺影

あるいはまた、夫婦ふたり「さだまさし」ファンでコンサートをいつも聴きにいっていたが、夫を震災でなくしたという婦人のメッセージも印象的である。
震災を思い出すのが辛くて、震災後は「さだまさし」の歌を一年ほど聴けなかったそうである。亡き夫が大好きだったのが「奇跡〜大きな愛のように〜」という歌。間に別のエピソードや語りを挟んで、唐突とも思えるタイミングで、婦人の手元にかかげられた遺影に語りかけるようにその「奇跡」を歌い始める。 
歌いはじめる前に、さだまさしが語ったことばがこころに残る。
「津波の災害を通して、私たちが教わったもの」として「さだまさし」が語ることば=「今日生きている命というものは、確かなものとして保証されているものではなく、奇跡が積み重なって存在しているもの。今日の命を惜しまずに生きて行かないと、明日がある保証は誰にもない」と。 
一瞬のうちに運命が変わってしまう、はかない、しかし掛け替えのない命についての「さだまさし」の感懐が胸を打つ。 
さすがプロフェッショナルと感じさせたのが、絶唱と思われる「奇跡」を歌い終えた後、フィナーレの一曲として「道化師のソネット」という曲を歌ったこと。観衆の手拍子も混じり、歌詞もリズムも明るい歌である。
感動的な歌「奇跡」ではあるが、追悼歌に近い歌である。しんみりとした気分ではなく、明るく元気な気分で観衆を送り出したいという「さだまさし」の配慮であろう。シブイ仕事人である。 
「奇跡」が歌われた動画がYouTubeに掲載されているので、最後に紹介しておきたい。 

2013年6月9日日曜日

唐招提寺、鑑真和上1250年御諱の法要と和上座像を拝観

6月6日、奈良の唐招提寺に参詣。鑑真和上1250年御諱(ぎょき)=開山忌法要と、和上座像を拝観してきた。
命日の6日に行われた法要では、献茶や舞楽などが奉納された。

読経にあわせて舞う、小学生くらいの子供たちの姿が凛々しく、健気で、清々しく、こころを打つ。5回にわたって渡航に失敗し、6回目にようやく日本を訪れることができた高僧の遺徳を偲ぶにふさわしい奉納舞楽である。
失明してしまった和上ではあるが、舞台を踏む足音や気配に子供たちの舞姿を感じて、笑顔を浮かべておられることと思う。
舞台から引き上げた子供たちが金堂脇に退き、緊張した面持ちからほっとした笑顔に戻る表情の変化がほほえましい。
唐招提寺 鑑真和上1250年御諱 開山忌法要
奉納舞楽
唐招提寺 鑑真和上1250年御諱 開山忌法要 奉納舞楽
舞を奉納する子供たち
子供たちの舞楽を見学後、和上座像の拝観に向かう。肖像彫刻の傑作とされる座像は、秘仏であり、年に数日しか公開されない。
1250年の開山忌を記念して、今年は座像を模造した身代わり座像が制作され、5日に開眼法要が行われた。7日以降は、この身代わり座像が常時公開される。
御影堂へ向かう境内、小径のツツジが色鮮やか。土塀のくすんだ黄土色に映えて美しい。和上座像の拝観は、多くの方々が並んで、順番待ち。
拝観後、開山御廟に参り、新宝蔵へ向かう。
唐招提寺のトルソーと呼ばれる如来形立像は、頭部や手が失われているけれど、その立ち姿が美しい。別名、東洋のビーナスである。十一面観音立像も、細面のすっきりした表情や立ち姿が神々しい。
唐招提寺 鑑真和上身代わり座像
唐招提寺 鑑真和上身代わり座像
唐招提寺 御影堂へ向かう参道
御影堂へ向かう中興堂前のツツジ
新宝蔵から南大門へ向かう帰り道、御影堂へ向かう身代わり座像の行列に出合う。鮮やかに彩色されて創建時の姿が再現された身代わり座像と、本来の座像の二像を運良く拝観できてうれしい。