31才の若さで夭折してしまった、ひとりの彫刻家に関するTV番組を見た。
NHK日曜美術館「故郷の海を彫った男 石巻の彫刻家・高橋英吉」。東日本大震災に関連した、心にしみる良質なドキュメンタリー番組のひとつである。
高橋英吉(1911-1942)についての知識はまったくなかったが、番組でいくつかの作品を鑑賞。優れた一級の彫刻家だと思う。
高橋英吉と作品「潮音」 |
石巻は宮城県で仙台に次いで二番目に人口の多い都市。景勝の地・松島にもほど近い。世界でも有数の漁場を間近にした、海のまちである。
若い新婚時代の思い出として奥さんが語っている。
生活費に困ると、英吉は「ハトを飛ばしに行ってくる」といって、ときたま帰郷したそうである。
ハトを飛ばす、つまり彫刻作品を売ってくるという意味らしい。ユーモアを解するおおらかな人柄を感じさせる言い草である。
生活費に困ると、英吉は「ハトを飛ばしに行ってくる」といって、ときたま帰郷したそうである。
ハトを飛ばす、つまり彫刻作品を売ってくるという意味らしい。ユーモアを解するおおらかな人柄を感じさせる言い草である。
生活している東京では、東京美術学校(現・東京芸術大学)をでたばかりの若い彫刻家の作品は買い手がない。しかし、ふるさと石巻には英吉の作品を購入して支援してくれるひとびとがいた。
ハトを飛ばす=作品を購入してもらうと、1ヶ月くらいは生活できたようだ。
高橋英吉の実家は回船問屋であり、大きな缶詰工場を経営していたらしい。友人・知人に裕福な階層のひとびとが多かったと思われる。
ハトを飛ばす=作品を購入してもらうと、1ヶ月くらいは生活できたようだ。
高橋英吉の実家は回船問屋であり、大きな缶詰工場を経営していたらしい。友人・知人に裕福な階層のひとびとが多かったと思われる。
例えば、「母子像」は幼いきょうだいのいる家庭の玄関にかざられていた。子供の頭がなでられて少しすり減っているのが微笑ましい。
「少女像」という作品は、旅館の看板娘として飾られていたらしい。生活の糧となった小さな作品たちは、美術館や博物館のケースの中でこぎれいに陳列されるのではなく、生活の場におかれて親しまれてきたのである。
少女像 |
英吉の主要作品が展示されていた石巻文化センターは、東日本大震災に襲われ大きな被害を受けたが、海の三部作は無事救出された。
三部作の中では、「潮音」が最も印象的。海の潮風にふかれながら、目をとじてまっすぐに立つ木像は、円空の仏像を思わせるようなノミの彫り跡が美しい。その姿は、被災者への鎮魂の思いを胸に、黙祷しているようにも感じられる。
英吉が東京美術学校を中退し、南氷洋へ向かう捕鯨船に乗り込んで漁師をしたときに目にした光景を彫刻した作品が「黒潮閑日」。スケッチ帖に、漁の合間に仲間のひげを剃る姿のドローイングが残されている。ふたりの男の形づくるフォルムがきわめて造形的である。
「漁師像」は、黒光りしたつややかな肌が美しい。海で働く男たちの姿は、幼い頃から見慣れた原風景であったはずである。
海の三部作はいずれも、どこか仏像を思わせるような静謐な崇高さを感じさせる。
高橋英吉は仏像も彫っており、母校の図書館やお寺に作品が残っている。
阿弥陀如来尊像 |
不動明王像 |
住職によれば、お寺も津波に襲われたが尊像の手前で津波が止まったという。すこし細面の美形である。母親のような優しさをたたえた表情が印象的である。
遺作となった手のひらに収まるような小さな不動明王像と、それを刻んだ手作りの彫刻刀も忘れがたい。戦死した英吉が輸送船の中で流木に彫った作品が、妻の元に届けられたものである。英吉が、戦友たちにも敬愛されていた証と思われるエピソードである。合掌。
■ラジオ石巻社長のブログ/高橋英吉さん生誕百周年父娘展に思う
http://radio764-aizawa.seesaa.net/article/147003387.html
http://radio764-aizawa.seesaa.net/article/147003387.html
■海の彫刻家 高橋英吉
http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/91010.html
追記)
高橋英吉の企画展が、2012年9月29日から2013年4月14日まで宮城県美術館で開催されていた。
ひとつ残念なことがある。県立美術館なので、かなり高額な費用で建築された建物のはずである。にもかかわらず、優れた作品を展示するスペースとしては、あまりにも貧弱な空間である。彫刻に比較して天井高が低すぎる。形状も四角いオフィスのようなかたちである。
ミロのビーナスのような展示スペースを希望する、とはいわないけれど、展示する空間の形状や壁・天井・床材などにもうひと工夫あっていいと思う。
追記)
高橋英吉の企画展が、2012年9月29日から2013年4月14日まで宮城県美術館で開催されていた。
ひとつ残念なことがある。県立美術館なので、かなり高額な費用で建築された建物のはずである。にもかかわらず、優れた作品を展示するスペースとしては、あまりにも貧弱な空間である。彫刻に比較して天井高が低すぎる。形状も四角いオフィスのようなかたちである。
ミロのビーナスのような展示スペースを希望する、とはいわないけれど、展示する空間の形状や壁・天井・床材などにもうひと工夫あっていいと思う。